オレとぼくの関係
*** Litengal
実のところ、鬼ごっこは好きではない。走ることは疲れるし、服に余計なシワがつくし、何より見た目がよろしくない。だから予想だけをする。相手がどんな人物か、何を考えているか――どこを目指すか。
あたりで一番高いビルの屋上から眺めると、入り組んだ帝都の路地はクモの巣を彷彿とさせた。ターゲットが周りを気にしながらその入り口に入り込んだ様子を、リーテンガルの望遠鏡がとらえる。今回のターゲットは帝都に蔓延る、ろくでもない組織の一員だ。少し気弱そうな顔をしているその人物が、この時間に組織のもとに戻っていることは、ここ二日ほどの調査で把握していた。
「ヒミツ、追いかけろ。根っこから叩きたい。捕まえるなよ」
「んん……、りょ!」
隣でケバブを握り、リスのように頬を大きく膨らませて咀嚼していたヒミツは、人よりもはるかに大きい最後の一口を飲み込んで元気よく返事をした。かと思えば、次の瞬間にはフェンスに足を引っかけ、身を乗り出す。その恐ろしいまでの視力でターゲットをとらえると、音もたてずに屋上から落下していった。
常人なら墜落死する高さでも、彼女には関係がない。器用に出窓をつかんで落下の衝撃を殺す様子を何度も見てきたリーテンガルは、ターゲットから目を離さない。すぐ後ろに赤色の少女が迫り、地面に拳を打ち付けると石畳がひび割れ、敷石が砕け散った。突然の来訪者の、突然の攻撃に、相手は青ざめた表情を見せる。
何かに追いかけられている人間というものは、往々にして思考が普段より短絡的になるものだ。さらに追手は無尽蔵の体力の持ち主、ヒミツ。息一つ乱さずに永遠においかけられることへのプレッシャーはどれほどのものだろうか。想像すると愉快だが、追いかけられる側にはなりたくないな、と独り言ちた。話し方や視線の動かし方を観察するに、相手は外見通りに気が弱い人物だ。おそらく進んで組織に参加しているわけではなく、何かの弱みを握られているのだろう。そんな人間が不測の事態に巻き込まれたのであれば、きっと仲間がいる場所への道を、最短経路で辿る。
「さぁ、教えてくれよ」
リーテンガルは少しの間、彼と彼女の動向を見守り路地の先に目線を向ける。冷たい帝都の夜風が目元を撫ぜて、きらりと光る薄水色の眼を露わにした。
***Himitsu
分厚いアクリルを隔てた先に広がるのは、生身では到底届かない深海の色だ。境界に張り付いたヒミツは視界を青でいっぱいにして飛び跳ねている。観光スポットとして有名な水族館は来訪客も多い。騒ぐ赤い後姿を小突いて注意するも、返ってきたのは楽し気な笑い声だけだった。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「んーん、リィと一緒のすいぞっかん、楽しーなって」
言いながらこちらに向けてきた彼女の瞳は、薄暗い室内でもわかるほどに輝いていて、かなわないな、と一つため息。隣に並び、大水槽を見上げると、無数の魚が群れを成して泳いでいる。イワシに見えるが、どうだろう。魚のことは詳しくない。時折ここに預けているヒミツなら知っているだろうか。そんなことを思って訪ねようとしたが、彼女は魚にくぎ付けになっており、恍惚とした顔で「おいしそー」と声を零した。――そういえば先日、この水族館の主が目を離しているうちに中型の水槽に入った魚を料理したらしい。叱っても全然応えない彼女の代わりに叱られたリーテンガルが思わず半目になって話を逸らした。
「つーか、すいぞっかん、じゃなくて、すいぞくかん、な」
「すいぞっかんって言ってるよ?」
「今も言えてないぞ」
「あれー? すいぞっかん」
「あー、ハイハイ、すいぞっかんすいぞっかん」
「あぁー! リィのいけずー!」
頬を膨らませた顔は、まるでこの水槽のフグを彷彿とさせる。笑いを納められずにいると、ヒミツもまた怒りの表情を和らげて、ふふ、と嬉しそうな笑みを零した。
「ぼくね、こんなに大きな魚屋さん、初めて見たよ」
「うん? ……うん」
いや、魚屋じゃないけどな? めちゃくちゃな誤解に突っ込みをいれるか迷ったけれど、水槽を見つめる彼女の瞳がいつもより真剣なことに気付いて、その言葉の先を待った。光の網目がヒミツの横顔を照らし、まるで水面に揺蕩っているようだ。彼女はそのままこちらを向き、花が咲くような明るい笑顔を浮かべた。
「ぼくが知らないもの、リィが全部教えてくれるね。ありがと、だいすき!」
真正面からの言葉は、リーテンガルにとっての毒でもあった。胸元に広がっていく熱を持て余して、そっけない返事をする。ヒミツの笑顔は、この体によく馴染んで、困る。