蝶の行き先

 グルメなパートナーのために、より良い花畑を探す自分の姿を客観的に鑑みて、なんだかミツバチのようだなと思った。

 あぁ、でもあれは、子供たちのために集めているんだったっけ。

 くるりと体を反転、左右で色の違う目が映したのは一面の菜の花畑。黄色い絨毯を敷き詰めたような景色に、ちかちか、目が眩む感覚を感じながら、ユウレ・ムートンは小さく笑い口を開いた。

「ほら、君たちはいつまで寝ているんだい」

 周囲に誰もいない花畑の真ん中で、『誰か』に声をかけるユウレは実に不思議な人だろう。だが、声を受け取る者が『人』ではないだけで、まだ気は確かだった。

「昨日遅くまでコイツの後始末してたんだから、仕方ない」
「だって、だって! クアトロが適当に映すから!!」

 声を受け取って、ユウレの大きな赤帽子のへりから飛び出してきたのは、青色と緑色の蝶。

 ユウレの左右の瞳と同じ色を持つ彼らは、出てくるなりお互いの不始末を押し付けあって、くるくると旋回し始める。そんな様子に失笑しながら、ユウレは両の手をそれぞれの蝶に差し出した。

「こらこら、喧嘩をさせに、図書館から出てきたのではないんだよ」

 大人しく両手に留まった二頭の蝶は、たしなめの言葉にしゅんと触角を沈めて、それからやっと、周りが彼らの食事の宝庫であることに気付いた。

「わ、わ、」
「食べてきていい?」
「もちろん」

 小さな子供のように、はしゃぐ彼らに、にっこりと笑む。口々にお礼を言いながら飛び立った二頭を見送ると、右目の視界の端に、ひらり、もう一頭の蝶が映った。

「君も食べられたらいいのだけれど。ごめんね」

 ひらひら、と、ユウレの言葉に呼応して羽を揺らすと、彼はユウレの左目へと移動した。


***


 ユウレ・ムートンは図書館の司書だ。

 と、言っても、町が作っている町営図書館のそれではない。図書館に蔵書されているのは『歴史書』。それも、この世界に生きている人たちの『歴史書』だ。

 ムートンの家に代々受け継がれてきたものは、二つある。図書館と、三頭の蝶。その二つはとても強い因果関係で結ばれており、どれかが欠如すれば、途端にすべてが破綻してしまう。

 先ほど強い口調で相棒を責めていた青色の蝶は、クアトロ。特定の人の『出生から現在まで』を、その羽に映すことが出来る。

 クアトロの苦言に言い返していた緑色の蝶は、シリカ。その鱗粉を一振りするだけで、文字や絵を、自在に描くことが出来る。

 そして、ユウレの瞳の中で、そんな二頭を羨ましそうに見ているのは、クォンタム。その羽は蔵書された本とリンクしており、ユウレの視界に本の中身を見せる。

 彼ら三頭が、ユウレの両親、はたまた先祖の時代から図書館を作ってきた。クアトロが人々の歴史を映し、それを見たシリカが描く。蔵書された大量の『歴史書』を管理しているのがクォンタム。実質、ユウレのしていることといえば、彼らに魔力を与えることと、こうしてたまに花畑に来ては息抜きをさせてあげることくらいだろうか。

 管理している図書館が、世界にどんな風に利益をもたらすのか、ユウレはあまり詳しくない。個人的に図書館自体にかけた『必要とする人の元に現れる』という魔法に引き寄せられて、人生に疲れた人が悩み相談に来ることが多かったが、せいぜいその程度だろうか。久々の外の空気にはしゃぐ二頭の蝶を見守りながら、ユウレはそっと地面に腰を下ろした。

 むせ返るような菜の花の香りがする。

 春の陽気はあまり得意ではない。いつも過ごしている図書館の陰鬱とした空気とまるで真逆だからだ。得意でない空気を忘れるためには、なにかに夢中になることが一番だ。その方法はユウレにとってはいつもお決まりで、今日も今日とて持ち出していた文庫本を開き活字を目で追い始めた。けれども蝶たちの大声が耳に届き、その追跡はあえなくたったの三行で中断されてしまう。

「ユウレー!! ユウレー!!」

 呼び声に視線を向けると、二頭の蝶がある一定の場所の周りをぐるぐると旋回し、ユウレの名前を連呼していた。

 声を返すも、少し離れた場所にいる彼らには届かなかったらしい。やれやれと、せっかく開いたばかりの文庫本を閉じる。仕方なしに腰を持ち上げ黄色い絨毯を進み歩くと、蝶たちはユウレの元へ戻ってきて、「人が死んでる!!」と、とても物騒なことを口にした。

 苦笑いを返す。この蝶たちは大げさな事ばかり言うんだから。

「そんな嘘はついちゃいけないよ」
「ほんとだもん!」

 そういってムキになったシリカが止まった場所は、ごつごつと節ばった角の先。

 角の持ち主は、菜の花畑に沈み込むようにして体を丸めて眠っていた。長い茶色の髪の毛を角に巻き付ける、なんて強引な方法で髪を纏めた彼は、服装も少し変わっている。

 緑色のポンチョの下からは地肌が見えていて、まだ時間帯によっては冷え込む時期だというのに、

 まるで寒さなど感じないとでも言うような軽装加減だ。

 そして蝶たちが『死んだ』と表現するのも無理はない。これだけ騒いでいるのにも関わらず、彼は眉一つ動かさずにひたすらに眠っていた。流石に心配になって、その隣にしゃがみ込む。

「……ねえ、君」

 目元にかかった茶色い髪の毛を払ってやりながら声をかけると、ようやっと彼は身じろぎをした。

 長い睫に隠された紫色の瞳が、ゆっくりとユウレを視認して、それからそっと細められた。

 一連の流れが、まるで人慣れした猫のそれのようで一瞬虚を付かれる。

「あなた、だぁれ?」

 唐突な質問。

 ユウレはやはり言葉に詰まり、それから取り繕うようにして笑った。

 やたらと何処か、雰囲気のある少年だ。愛らしい印象は受けるが、決して格別に顔立ちが整っている訳でも何でもないのに、どこか『惹かれる』物言いをする。

「ああ、失敬。私はユウレ。昏々と眠っているものだから、心配になって」

 そっと手のひらを差し出すと、彼はユウレとその手のひらを見比べて握手を返した。

「ゆうれ」
「うん。君は?」
「……ステイシー。……ちょっと、眠くて……」
「そうか、今日はいい天気だものね」
「……ううん、おなか、空いて。菜の花は嫌いなんだ」

 そういって、くぁ、と指先で瞼を擦る。そんな些細な仕草ですら、やはり猫のように見えて思わず笑ってしまった。

「空腹なのか、うちにくるかい? 君が好むようなものがあればいいが」
「ええ! またユウレがそうやって甘やかすー」
「そうだよ、図書館に簡単に人を入れちゃだめなんだぞ」
「君たちねえ、情けは人の為ならず、だよ」

 口々に不平を漏らす二頭の蝶を片手で振り払って、ユウレは少年、ステイシーに手を伸ばす。握手と同じようにおずおずと手のひらを握られて、引っ張り上げるとその軽さがやたらと気になった。年の頃は、十五歳くらいだろうか。それにしても軽すぎる。よっぽど栄養が足りてないのか、それとも元々細い体つきなのだろうか。

 ステイシーは何かを言いたそうに口を閉じては開いて、を繰り返したが、決めてしまったユウレはもう一直線だ。

 未だ文句を口にする蝶たちを無視。演技じみた動きで手を翻す。途端にその指先からきらきらと煌めきを放つ、光で出来た蝶が湧きだし、円を描いてユウレの指先を回転した。その蝶を薙ぐようにして腕を一閃すると目の前の菜の花畑が、ゆらり、蜃気楼のように揺らめいた。

「え、」

 ステイシーの驚く声を背景に、安心させるためにユウレが彼に笑顔を投げるのと、揺らめいた景色に巨大な図書館が上書きされたのは殆ど同時だった。重厚な扉が目の前に聳え立ち、あまりの迫力にステイシーはたたらを踏んだ。

「いらっしゃい」

 にっこりと笑って、手を伸ばす。

 ステイシーの紫色の瞳がしぱしぱ、と瞬いて、その色に好奇の色を織り交ぜた。


//蝶の行き先(運命-1)

2016-01-03
推敲:2018-04-04
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