弱さを晒す
図書館は『必要とする人』の元へ現れる。それが例えどんな類の人の切望だろうと、危機だろうと、判別する術はない。その日も図書館は唐突に移動を開始した。ごんごん、だか、がんがん、だか、形容しがたい音が数十秒。
ソファに転がって蝶たちと穏やかな読書タイムを楽しんでいたユウレは、そっと体を起こし「お客さんだね」と手の中の本を音を立てて閉じた。いいところだったのにと騒ぐ二頭の蝶を宥めて、図書館の扉へと歩を進める。
本日の悩める子羊は、どんな人だろうか。そんなことを思いながら、重く重厚な扉に手をかけた。
まだ世間は昼間だったらしい。思った以上に明るい光が、ユウレの瞳を刺す。瞳の中のもう一頭の蝶が驚きに強く瞬き、そうしてゆっくりと光に慣れた瞳が見つけたのは、あの日の茶色い少年だった。
「こん、にちは」
ややはにかむようにして微笑んだ彼の髪の毛には沢山の葉っぱがくっついている。薄着はあの日のままで、ただしその肩には少し大きめの革のバッグが下げられていた。
提案した通りに図書館を呼んでくれたことが嬉しくて、ユウレも同じような笑みを返す。
「やぁ。ステイシー」
「……あのね、お兄さん」
「なんだい?」
少しだけ言葉に詰まって、それからゆっくりと彼が口にした言葉は、結構意外な一言だった。
「市場へ、……ついてきて、くれないかな」
***
今回図書館が現れたのは、洋風の街だった。首都である『帝都』を中心に構成されたこの世界は、東西南北に分かれてその気候は大きく異なる。今の時期に春の陽気を醸す街ということは、恐らく此処は南側の地方だ。今まで図書館は冬の地方にいたから、風と共に流れてくる桜の花びらに、なんだか心が擽ったくなる感覚を覚えた。
ひらり、と付いてきた二頭の蝶は、ユウレの帽子の鍔の上で『飾りの蝶』の振り。ユウレの半歩後ろを歩くステイシーは、人混みの中で周囲の人物に声をかけられる度にビクつきながら、後を付いてくることに精一杯な様子だ。それでも自身の服に花びらがくっつくと、そのまま口に運んでしまうのだから、相変わらずの小動物みたいな様子に笑ってしまう。
「ところで、買い物に難儀したのは、どうしてだい? 重たいものを買わなければならないとか?」
初めて彼がユウレを呼び出した理由は、今から向かう市場での買い物に困ったからだという。
あまりに挙動不審なステイシーを見かね、手を差し伸べながら問うと、彼は少し躊躇したあとにユウレの手を取った。
「ううん。…違うんだ。欲しいのは、ドライフラワー。…えっと」
口篭るステイシー。何事だろうと不思議に思いながらも歩く速度を落として答えを待っていると「いらっしゃーい!」明るく通る声と共に、市場の入口が現れた。声の主は一人の女行商人。手にした籠の中には真っ赤に熟れた林檎がいくつも収まっていた。ユウレとステイシーに興味を抱いたのか、彼女はこちらへぐいぐい距離を詰めてくる。
「いらっしゃい!ここで揃わないものはなぁんにもないよ!はっははー、親子でお買い物かい?」
にこにこと笑顔を浮かべる行商人。反対に手を握る力が強くなったことを感じて、ユウレはおや、とステイシーへ視線を寄せた。彼は酷く緊張した面持ちで、ユウレの影に隠れようとしている。行商人に視線を合わせようともしない様子に、少しだけ彼の『理由』の一端を見た。
「その通りだよ。ところでドライフラワーは何処に売っているだろうか?」
「変わったものをお求めね。左側に少し行ったところには花屋があるよ。そこを当たってみればきっとあるさね」
「ありがとう、美人さん」
ユウレが笑顔で礼をいい、彼女の手を取って口付けると、行商人は一瞬驚きに声を零したあと白粉を塗った頬を赤らめた。歩き出すユウレへ付いてくるステイシー。彼にも小さく手を振ってくれたが、本人はユウレにしがみつくことに精一杯でそれどころではなかったようだ。
「ユウレは、凄いね」
「うん?」
「人と上手に、……お話、出来て」
「……ステイシーは、人が苦手かい?」
暫くの沈黙の後、口火を切ったのはステイシーの方だった。申し訳なさそうに眉を落とした彼を横目に、先程見た一端からの推測を問いかける。それほどまでに、人に対して怯えが強すぎるように思えた。
「……うん。怖い」
「そうか。でも私にはこんなに話してくれるじゃないか」
「お兄さんは、大丈夫だったから」
『大丈夫だった』とは、どういうことだろう? 疑問に思って問いかけようとしたが、それよりも先に、二人の目の前には花屋の看板が現れた。四季折々の花が色とりどりに並べられたその場所は、ステイシーにとっては高級レストランに並べられた食事たちに見えるのだろう。途端に目を輝かせ、ユウレから離れていく足取りは軽い。
ただし、彼が白いかすみ草の前にたどり着いた直後、店の奥から店主らしき若い男が現れた瞬間、ステイシーの足は硬直した。
「あれ、可愛いお客さん。……ね、それが気になる? いくらでもあげるよ。ほら。買い物が終わったら食事でもしよう。なぁ、いいだろう?」
にこにこ笑みを浮かべる店主は、ステイシーとかすみ草へ視線を一巡して、それからステイシーへと詰め寄った。初対面にしては明らかに距離が近い。矢継ぎ早に言葉を並べ立てる相手。手を取られたステイシーの紫色の瞳に怯えの色が見えて、ユウレはそっと間に割って入った。
「やぁ店主殿。今日は捜し物があってね。」
「……? 知り合いか?」
「あぁ、保護者だよ。……ところでドライフラワーはあるだろうか。少し入り用があるんだ」
思わぬ邪魔入りに、店主は些か不満そうだ。ステイシーの手を掴んでいた彼の手の平をやんわりと払うと、目を細めて店の奥へと消えていった。
すぐにステイシーがユウレの背中にしがみつく。
帰ってきた店主の手には見事に咲き誇るドライフラワーの瓶が握られていた。ユウレは礼を言って対価を払い、商品を受け取ってその場から立ち去った。去り際にステイシーを見る、店主の目が酷く印象深い。まるで獲物を見つけた狼のようだ。ぎらついた欲望の目。
「僕の、固有魔法なんだ、多分。人に好かれやすい。でも、……コントロール出来なくて」
世界の仕組みのひとつとして、人々には生まれつき魔法が宿る。例えば空間掌握、例えば痛覚の共有。ユウレには「必要とする人の元へ現れる」という固有魔法が宿った。確かに幼い頃は、その授かりものを上手く使いこなせない者も少なくはない。
花屋から離れたころ、ステイシーの口から出た言葉に納得した。
「それであんな絡み方をされるわけか。……大変だったね」
「……ううん、大丈夫。お兄さんが、付いてきてくれたから、」
困ったように笑いながら、今回の成果であるドライフラワーの瓶を握りしめるステイシーの手は震えていた。意図しない固有魔法の発現は、何度彼を怯えさせただろう。そう思うと痛ましくて、ユウレは彼の頭をそっと撫でた。
「練習をしようか」
「え」
「魔法は多分、いま使いこなすのは難しい。……あぁやって絡まれた時の対処や、人と話す方法を」
ステイシーはユウレの提案に、少し逡巡する様子を見せた。恐らくユウレの提案、というよりは、問題と向き合うことへの恐ろしさと対峙しているのだろう。無理にとは言わない、とユウレが言葉を重ねると、彼は慌てて首を左右に振った。
「スティ」
「うん?」
「スティって、呼んで。仲のいいひとは、……そう呼んでくれるんだ」
「なるほど。……では私も、ユウレと。」
呼び名の提案は、YESの返事だ。提案されたばかりの愛称を呼ぶと、彼は酷く嬉しそうに笑んだ。彼の笑顔は、なんだか心を癒してくれる。例えるならたんぽぽの綿毛。風に吹かれたらあっけなく散ってしまうけれど、ふわふわと柔らかい。
そんな彼の笑みを眺めていると、周囲に人がいないことをいいことに『飾り』だった二頭の蝶が帽子の鍔からそっと触覚を出して彼に囁いた。
「ちなみにね!」
「ユウレはお兄さんじゃないからね!」
「えっ……?」
あぁ、別に言わなくたっていいことを。
ユウレ・ムートン、――二十五歳女性は苦い顔をして黒い手袋をした指で頬をかいた。酷く驚いたステイシーの真ん丸な瞳に、苦笑いをひとつ。
//弱さを晒す(運命-3)
2018-04-04
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