予定外の来訪者

 旅しているうち、珍しいものに出会うことが多いステイシーに飴を貰った。

 赤い包み紙に包まれていて、中には楕円型の飴が一粒。甘じょっぱいその味にいつの間にか夢中になっていて、瓶いっぱいのそれを一日一つずつ食べるのが午後の楽しみだった。

 その日もその日で、飴をコロコロ転がしながら、本棚の整理をしていた。図書館の本は日に日に増えていく。増えていくのは結構だが、それを整理する術をこの図書館の主である蝶たちは持ち合わせていない。その為整理だけは、大抵ユウレの仕事だ。

 最も、蝶たちが人の姿になればいいだけの話でもあるが、ユウレの方から進んで行っていることも多い。なにせ、一冊一冊が人の歴史。新しい本を手に取るのは、生命の息吹を感じることが出来て好きだったのだ。

 図書館が移動を開始したのは、そんな穏やかな午後のことだ。最近の訪問者は、専ら会話の練習をしに来るステイシーだと決まっている。今日は何を話そうか、と意識を巡らせて手にしていた本たちを手近な机に仮置きした。

 けれども重厚な扉を開いてみれば、途端に流れ込んでくる熱気。この取り付く島もない暑さを、ユウレはよくよく知っている。

「よぉ、ユウレ」

 予想より低い位置にある黒いキャスケット帽が、不遜な態度でユウレに挨拶をした。

「……やぁ、リーテンガル。久しぶりだね」

 にやり、と帽子の鍔から覗いた不敵な笑みは、数年前となんら変わっていなかった。安心するやら、呆れてしまうやら。手にしていた取手に力を込めて扉を大きく開き、彼を館内へ迎え入れた。彼の後ろで呆然としている、全身を黒色に染め上げた青年と共に。


***


 ユウレのお気に入りのソファに座り、同じくお気に入りのカップで紅茶を楽しんでいる少年――のように見える青年は、リーテンガル・シャエランという。私立探偵だ、それも荒事専門の。

 その向かいに設えてある一人用のソファには彼が連れてきた青年。伏し目がちな銀の瞳以外は髪にスーツやベスト、ネクタイに靴まで全てが真っ黒で、白い肌と瞳だけが浮いて見えた。

 お茶を用意する間、彼らに会話がなかったところを見ると、親しい友人ではなく依頼人だろうと推測する。

 客を迎え入れる最低限の準備を終えたユウレは、その二人の間に簡易的な木の丸椅子を持って戻ってきた。それで? と端的に用件を問いかけると、リーテンガルの方が苦笑いと共に反応を返す。

「久々に会う腐れ縁に、ちょっと冷たくねぇか?」
「最後に会った時、反抗期の子供みたく『もう会わねぇ』って豪語したのは君じゃないか」
「あぁー、そうだっけか?」

 親の心子知らずとは、こういうことを言うのだろうか。ユウレは今でも彼の台詞を思い出してはそれなりに拗ねていたのだが。リーテンガルとは幼少期からの腐れ縁で、瑣末なことで揉めた回数は両手足の指では足りなかった。けれども求められれば最終的に彼の手助けをしてしまうのだから、我ながら人がいいよなぁ、なんて、ため息をひとつ。

「調べたいこと、というのは、君絡みかな。……はじめまして。ユウレ・ムートンだ」
「…カナ・クニミネ。よろしく」

 差し出した手を握り返してきたのは、質の良い黒手袋を嵌めた掌だった。外はあんなにも暑かったのに、わざわざ手袋だなんて変わっているな、と内心首を傾げる。

 カップをソーサーに戻し、リーテンガルは足を組んで頷いた。

「ある人魚を探してる。年齢は不詳、亜麻色の髪と目をした男の人魚だ」
「人魚とは、また珍しいね」
「あぁ、このご時世にはSレアだな」
「経緯は?」
「話せば長くなる。ゆっくり捜し物をしながら、そいつに聞いてくれ」
「は?」

 外していたキャスケットをまた目深にかぶり直し、リーテンガルは席を立った。まさかそれだけの説明で、彼を置いていくつもりか? 扉へ向かっていくリーテンガルの後を慌てて追いかけると、彼は何か問題でもあるかと言わんばかりの顔でユウレへと向き直った。

「リーテンガル、無茶を言っては困る。確かにこの図書館にはすべての生命の記録があるが、名前もわからないんじゃ探しようが無い。それに、探せという君が同席せずにどうするんだ?」
「一つ目。名前がわかるんなら此処じゃなくて他に頼るところがあった。二つ目。オレは忙しい。あいつは此処で、オレは別の視点から調べる。そう話はついてる」
「ついているのは君と彼との間の話だろう」
「それで十分だろ」

 本当に、何年経っても王様気取りの横暴屋だ。憮然とした態度で言い放つ相手に、キリキリ痛む頭を抑えて眉間に皺を寄せざるをえない。重たい扉の取手を手にして、少し難儀しているリーテンガルの手より上の方を手持ち、ぎゅうと引き開けてやると再び強い熱気が流れ込んでくる。

「あぁ、あと、こっちはお前に頼みたい」
「……はいはい、なんだね」

 ここまでくると、もうやけくそだ。扉へ寄りかかり腕を組んで返事を待っていると、彼は少しの間言葉を迷った。それから、キャスケット帽の鍔を深く引き下げ「あの街が燃やしてきた国、街、すべての中に『フリーテンス』という単語がないか」そう、言葉を放つ。

 この時リーテンガルが口にした言葉を、ユウレは一瞬噛み砕くことが出来なかった。急に昔なじみの口から出た言葉に驚きが隠せない。

 二人の中で『あの街』と称するだけで伝わる場所は、たった一つの生まれ故郷だ。ユウレは勿論、他でもないリーテンガルにとっては一等悪しき過去の象徴だった。

 何年もの間、無かったかのように存在を無視して過ごしてきたというのに。沈黙するユウレの思考に気付いた相手は、苦笑いをしながら言葉を続けた。

「別に深い意味はねぇよ。ちょっと野暮用でな」
「……リーテンガル」
「あ?」
「決して深入りはしないと、約束をしてくれなければ、その頼み事は受けられない」

 ユウレは元来穏和な性格であったし、凄むことなど殆どない。それでもこの時ばかりは彼の目を真っ直ぐに見て啖呵を切った。あの街に関わることは、ナイーヴな問題だ。特にリーテンガル、ユウレ、それからもう一人の腐れ縁にとっては。

 いつもより強い口調のユウレの気迫に、さしものリーテンガルも多少たじろいた。そうして数拍を置いて彼はわかった、と短く返事を返してきた。高々口約束だが、それだけでも何も無いよりは安心する。

 踵を返した彼の背中を眺め、暑い熱気が立ち上る彼の住処、砂の街の景色を眺め、ユウレは小さく息を吐き出した。

 気持ちを切り替え、扉を閉める。リーテンガルとのやり取りを何事かと眺めていたもう一人の客人ににっこりと笑みを浮かべて元いた場所に戻った。

「置いてけぼりだったね、すまない」
「……いや。あんたも大変だな」
「あはは、本当に、参ってしまうよ」

 リーテンガルがしっかり飲み干して言ったカップを脇に寄せ、ソファへと腰掛ける。

 間近でマジマジと見れば見るほど、不思議な雰囲気の青年だ。ステイシーを見た時も思ったが、彼とはまた種類が違う。まるで綺麗に磨いた鏡のような、ガラスのような、透明な印象を鮮烈に残していく。

 彼は両の指をぎゅっと合わせ、本題に入ってもいいだろうかとそう問うた。

「とりあえず、飴でもひとつ、如何かな?」

 一日一つの禁を破ろう。今日は既に疲れてる。


//予定外の来訪者(運命-4)

2018-04-04
back