影光の撃鉄

 人間は汚い。人間は醜い。誰かを陥れなければ、暮らしていけないのだ。生を受けて、十八年。やっと気付いた事実は、ひどく悲しく、冷たい。

 埃や煤を纏った、裏路地の汚い雨を身に受けながら、ギンカ・サタケは浅い呼吸を繰り返した。足に負った傷は深くはないけれど、絶えず降り注ぐ雨が血を止めることを許してくれない。マントのフードを深く深く被り直し、そっとしゃがみ込む。

 ギンカは魔女だ。いや、魔女だった。雨がずっと降りしきるこの街で、魔女として生まれ、魔女として生きた。両親は物心ついた時には他界しており、ギンカは己の体に巡る魔力と、膨大な書籍から魔法を覚えた。その結果が両目に宿った一対の十字架だ。眠っている間に凝縮し、その形に縮めた魔力を声に乗せて伝え、「思い込ませる」ことで、肉体強化や、精神操作を可能とする。けれど、今や両目には十字架は一辺しかない。ギンカの魔法は、強力であるが故、四度しか使えない。使い切ってしまったら、ある程度の睡眠をとり、魔力を凝縮する時間が必要だった。町民たちへの目暗まし。逃げる為の肉体強化。傷ついた足の痛みの遮断。あと一度の魔法にも限界がある。

「いっそ、楽に死ぬために使う、っていうのも、きっと賢いよね」

 自嘲気味に笑う。町民たちに魔女様と呼ばれ、慕われていたのに、どうして今度は追われる身になったかというと、端的に言ってしまえば弟子の裏切りだ。この街では魔法使いの存在は非常に優遇されるが、その分求められる『奇跡』は大きい。ギンカが取った唯一の弟子は、『奇跡』の一端を、ギンカを断罪することによって起こそうとしていた。そのせいで彼女は人を殺した罪を擦り付けられ、そうして町民たちの断罪の火の手に追われることとなった。

 慕ってくれた人たちから、憎しみの目を向けられることが、一番堪えた。けれどもおそらく、それからは逃れようもないのだ。ギンカの世界は閉ざされていて、あの街以外の場所を知らない。そうなってくると、やはり。ギンカは浅く息を吸う。それに連動して、もはや残すところ一辺となった瞳の十字架が、煌々と輝いた。心臓よ、止まれ。たったそれだけの言葉を口にすれば、終わる話。それなのに一歩を踏み出せないギンカをあざ笑うように、「おい、いたぞ!」路地の入り口から投げつけられた大声に、びくりと体が跳ねた。

 松明の炎が暗闇に慣れた瞳を焼き付ける。走り寄ってきた人物は、かつてギンカの家に食事まで持ってくるほど、彼女の存在に心酔していた人物。ぐい、と、力任せに髪を引っ張られることよりも、そんな彼の憎悪の瞳を浴びることが辛くて、自然と目頭が熱くなった。

 泣くな、泣くな。泣いていいことなど、今まで一度もなかったじゃないか。呟いてしまえば、もうお仕舞いだ。とっさに噛みしめていた唇を緩めた。そうして今度こそ一文字目を口にしようとしたとき、カツカツ、と何か堅いものが地面に打ち付けられる音がした。

「だーかーらー、婦女暴行はー、うちじゃ一級犯罪だぞ」

 次いで、声がする。路地の狭い空間で反響して、やたらと響いて聞こえるその声。やがて松明の光に照らされ姿を現したのは、黒い髪をした青年だった。前髪の一房だけ金色で、瞳は炎を思わせる赤色。精悍な顔立ちをしているが、少し気怠そうな表情がその事実を曇らせる。そして、その頬と白い服にはべっとりと、赤い液体が染み付いていた。

 唐突に現れた、見るからに怪しい人物に驚いたのはなにもギンカだけではない。なおもギンカの髪を掴んだままの町人と、その呼びかけに答えてやってきた人々が息を飲んだのがわかる。

「な、なんだ、お前」
「そりゃこっちの台詞だわ。俺の管轄でなにやってくれてんの?」

 そういって薄く笑う青年は、気怠げに返事を返し、急に町人との距離を詰めた。まるで自然に、街の大通りを買い物でもするように歩いていたはずが、一気に縮まった距離に町人は驚き、思わずギンカの髪の毛を離す。痛みから解放されたギンカは、町民と彼を同時に視界に入れて、ただただ状況を把握しようと無言で見つめるばかりだった。

「こ、こ、こいつは、うちの街の長を殺したんだぞ、だから、」
「はぁ、だから?」
「いい、いいからほっておけ」
「だから、『火炙り』?」

 先回りされた言葉に、町民は愕然とした。なぜ彼は、この街の風習を知っている?

「うるさい、うるさい、なんだガキが、なにを知った風なことを」
「知ってるからいってんだよ、老害が。あんたの町の悪習は、正直目に余る」

 かちゃり、と、乾いた金属音がした。松明の光に照らされて、てらてら、と、酷く扇情的な光を放つのは、片手銃だった。

「湿っぽい町に引きこもってろ。このガキが人を殺したってんなら、証拠持ってこいや」

 きらり、と赤い瞳が煌めく。街への侮辱、自分への疑い、同時に二つの屈辱を受けた町民は、不平を言うために口を開いたが、金属音と共に突きつけられた片手銃に、閉じざるを得なくなった。相手を煽る様に撃鉄に指を掛ける。

 血みどろの青年に、路地で、銃を突きつけられている。その異常事態に、さしもの町民も一歩後ろに下がった。そのまま悪態を付いて、身を翻す。青年はくつくつと笑いながら、その後ろ姿を、声だけで追いかけた。

「ピアント・ロンディネ。また会えるのを楽しみにしてるぜ?」

 自信に満ち溢れた声だった。名前を名乗ることが、こんなにも様になる人物が他にいるだろうか。座り込んだまま、じいっとその姿を見つめることしかできないギンカに気付いた彼は、に、っと八重歯を見せて笑った。

「よぉガキ。元気かよ?」
「……どこをどう見たら、そう見えるのよ」

 それが、彼、ピアント・ロンディネとの出会いだった。愁然で、とても突然、それでいて優しい出会いだった。


//影光の撃鉄(世界-1)

2016-01-03
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