急拵えの居場所

 雨の街を出てからの一日は、緩やかに過ぎていった。村人には高らかに名乗ったくせに、不審人物Aはギンカに改めて名乗ったり、自己紹介もすることも一切無く、ただ泊まる場所と食事を用意してさっさと姿を眩ませた。そうして取り残されたギンカは何故か、ソファに座らされた状態で十数人分の好奇の目に包囲されている。

「で、ピアントさん、どうだった、格好よかった?」
「は……?」

 その中の一人、まだ十代であろう男性は、目をきらきらと輝かせて楽しそうにこちらの顔を覗き込んだ。言葉と表情の意味を計りかねて曖昧に言葉を零すも、やっぱりそうか、わかってるわかってる、なんて変に嬉しそうな顔で納得される。

 いや、全然わかってないと思う。

 果てはその嬉しそうな雰囲気はなぜか残りの人物にまで伝染をしたらしく、もはやギンカ以外のリビングにいる人物はみんな満面の笑顔だ。――本当にどういうことなんだ。新手の宗教だろうかと疑われても仕方ない。頭を抱えたくなるような状況になおも戸惑っていると、始めにギンカへ爆弾を投下したのとは違う人物が口火を切った。

「ピアントさんが人を拾ってくるのは珍しくないんだけど、君はどうしてついてきたの? うちに興味があった?」
「うち……?」

 質問の意味が分からなくて、まるで馬鹿なオウムになってしまったように同じ言葉を繰り返してしまう。そうするとやっと、ギンカ自体が状況を飲み込めていないことに気付いたのか、相手が小さく声をあげた。周囲と顔を見合わせて困ったなぁと腰に手を当てたのは、十数人の中で最も若そうな女性。それでもギンカより、一つ二つは年上だろうか。

「ピアントさん、またちっとも説明してないのね!」
「仕方ないよ、ピアントさん、説明苦手じゃん」
「まぁそうだけれど。でもうちにも機密情報っていうものがあるのに」
「信用ならない人だったらピアントさんが連れてくる訳ないし。大丈夫大丈夫」

 少しむくれた仕草を見せる彼女に、窘めの言葉をかけるのは二十代半ばの男性だ。この中では、一番年上だろうか。茶色の猫毛をさらりと揺らしておっとりと微笑みを浮かべる様子に年長者の風格が見える。疑問符を浮かべ続けるギンカを労るような視線をこちらに向けて、すまないねと謝罪の言葉と、それから自分の名前を寄越した。

「僕らはみんなで、秘密警察って呼ばれる組織を作ってる。母体は帝都の軍だ。彼らが表立って出来ないことを、僕たちが処理してる。まぁ、暗躍者、って言えば聞こえがいいかな」

 言いながら、彼は自分のスーツの胸ポケットから手のひらに収まるくらいの冊子を取り出して、目の前の机の上に大事そうに提示した。黒色の表紙に、金色のライン。縁取りには月桂樹の文様が施されており、その中心には一羽の鳥――ツバメだろうか、流線型の翼が美しい鳥が飛び立つ姿があった。それを裏返すと、次は見覚えのあるエンブレム。こちらはこの国に住むものなら誰でも見覚えがあるであろう、首都、帝都軍のエンブレムだ。

「そして、昨日君を此処に連れてきたのは、ピアントさん。秘密警察の創立者で、うちのトップだ。僕たちはみんな彼から引き抜かれたか、拾われたかして此処にいる」

 みんな、という言葉に、ギンカはその場にいる者を今一度ぐるりと見渡した。十代から二十代までの若い男女が、ギンカの視線を受けてそれぞれの反応を返す。

「……さっきはびっくりした? 実は僕たち、ピアントさんの熱狂的なファンでね」

 言いながら彼は、冊子を胸ポケットに戻して、少し気恥ずかしそうに頬を掻いた。それと同時に、他の人員も深く頷いてみせる。上司への敬愛を表す際に『ファン』という言葉を使う人間を始めてみた。確かに何処となくカリスマ性を匂わせていたような気がしなくもないが、それは『カリスマ性』と言えば聞こえがよく、ギンカにとってはただの『不審者』という言葉で済ませられる。そこまでこの十数人を惹きつける何かを彼が持っているというのだろうか。ぐるぐると詰め込まれていく情報の量についていけず言葉を詰まらせた頃、リビングの向こうからやや乱暴なドア音が聞こえた。瞬間弾けるようにして周囲の人物が顔をそちらへと向ける。

「ピアントさんおかえりなさいー!」

 一人が口火を切ると、他の者もそれに続く。まるで幼い子犬が飼い主にまとわりついているような光景だ。それらの声に生返事を返しながら現れたのは、昨晩出会ったばかりの彼だった。今日は白い服ではなく、帝都軍の深緑色の軍服に金色のドッグタグを下げている。

「どうでした、軍の教務~」
「まぁまぁ鍛えてたわ、やっぱ。俺らもなんか始めるかー」

 今までギンカに説明をしてくれていた人物が、快活な笑みと共に彼へと話題を投げかけた。気怠そうにしていた彼だったが、返事の隙間にふっと笑みを零す。

 あ、笑った。

 村人を脅していたときの笑顔とは違う、穏やかな笑い方だった。そんな笑い方もするのか。なんとはなしに他人事のようにそう思って、少しだけ驚く。

 二人はお互いに笑いあいながら、会話に花を咲かせている。話に入るタイミングも無く傍観していると、はたり、彼と目があった。たっぷり二秒はきょとんとしたまま、彼はそのままでいて、それからぼそりと「あぁー……、そういえば、残してってたな。わりい」と苦笑いと共に謝罪を口にする。こいつ。まさか忘れていたとでもいうのだろうか。

「わりい、じゃないわよ」
「はは、気の強い女。いや。放置するよりは、うちにいた方が安全だろうと思ってな」
「その結果、昼間はあの人たちにとって食われるんじゃないかと思ったわ」
「大丈夫、お前不味そうだし」
「そういう問題じゃないわよ」

 不機嫌に眉をしかめて悪態を吐いても、彼はどこ吹く風といった様子でのらりくらりと笑うのみだ。リビングを抜けて広々としたキッチンに向かう後ろ姿を追いかけて、立て続けに悪態を吐いてもそれは変わらない。『あの人たち』はリビングでそっとこちらの様子を伺っている。

 彼、ピアントは棚の上に置いてあったインスタントコーヒーの瓶に手をかけて、マグカップに適正量とは思えない量を振り入れた。粗雑に瓶を傾けることによって音を立てて雪崩出す茶色の粉。予想されるそのコーヒーの濃さを想像して、思わず顔が歪んだ。味覚がおかしいのか、この人。

「うちのから話を聞いたか?」
「……何のこと? 秘密警察のこと?」
「そう。この場所は、その組織の連中のために作った、いわゆる、あれだ。寮なんだわ」

 一つのマグカップに嫌がらせのような量の粉末を振り入れ終わると、ピアントはもう一つマグカップを取り出した。それにも同じだけの粉を振り入れる。

「お前が昨日寝たのはその一室。好きなだけ居てもいい。でも、働かねえやつに食わせるものはねえかな」

 一度そこで、彼はリビングの方に「湯沸いてるか?」と少し声を大きくして問いかけた。すぐに帰ってきた肯定の言葉に、コンロの上に置いてあった赤いケトルを握る。熱された金属に振動で揺れた水が触れて、じゅうと微かな音を立てた。

「で、俺はこう思うんだわ。魔女だったお前なら、此処でやれること、あるんじゃねえの?」

 白い湯気を発する熱が、やや荒っぽくマグカップへと注がれる。勢いが良すぎた茶色い液体が容器の外まで飛び跳ねて、白い大理石で出来たキッチンにまだら模様を作った。視線はマグカップに向けたまま、彼は口元に笑みの形を浮かべている。

 つまり、打診しているのだ。

 助けた当初から考えていたかはわからないが、今の彼はギンカを労働力として見ている。直接ではあるが、まるで理解を試すような遠回りな打診に、ギンカは眉根を寄せて視線を彼の手元までずらした。彼女に行くところはない。ずっと街で暮らしていたのに、追われた身の上だ。

「……それって、狡い言い方ね」
「バレたか」
「……次にいくところが見つかるまでなら」

 数瞬の後、ギンカの出した答えはイエスだった。町の外を知らない彼女が今この場で此処を離れても、上手くやっていけないのは明白だった。暫くは此処で世の中の様子を伺ってもいいだろう。そんな気持ちでのイエスでもあり、そしてその気持ちの隅にはピアントに興味が湧いたという事もあった。あれだけの部下たちを「ファン」にする程の人格者だとは、到底思うことが出来ない。ならば、ギンカの見えないところに、答えがあるのだろう。魔女として魔法の研究を重ねてきたギンカにとって、謎は徹底的に究明すべきものだった。

 棘を含んだイエスの返事にピアントは満足そうに笑って、それからマグカップの片方をギンカに手渡した。自分はもう一つのマグカップの取手に手をかけて、一口啜る。空いた手が差し出された。

「良いじゃん。上等。よろしく頼むな。えーと、魔女の……」
「……ギンカ」
「おう。ギンカ。俺はピアント」
「名前はいろんな人から聞いたわ。あなたのファンだって」

 少したじろぎながら握った掌は、ギンカのものより遙かに大きく暖かい。ちょっとした疑問の色を滲ませてそう伝えると、彼は苦く笑った。

「あー……、はは、あいつ等ちょっと面白いだろ?」
「あんたも変だけれどね」
「まぁ間違ってねえな」

 次の反論の言葉を奪うほど、明朗な笑顔だった。口を噤んだギンカに、彼はもう一口コーヒーを啜ってキッチンから出ていく。出るなり「一人仲間増えたぞー」なんて暢気な声を出すその後ろ姿を眺めながら、何処か現実味のない感覚のまま、ギンカは手渡されたマグカップに口を付けた。

 この液体を果たしてコーヒーと呼んでいいのか。とてつもなく、苦い。


//急拵えの居場所(世界-2)

2017-03-04
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