俺とワタシの関係
***Purent
痛みを吸収するという俺の固有魔法は、どの界隈でも便利だ。秘密警察として勤めている中でも、部下たちの痛みを取り除く機会は多く、軍にいるときでもそれは同じだった。これほどこの力が嫌で仕方がないのに、結局どこに行っても傷んでいる奴がいると条件反射みたいに行使してしまうのは、あの頃の刷り込みに違いない。そんなことを思うと嫌気が刺す。やっと得た自分の人生だ。本当は痛みなんて吸いたくない。
昨日軍に赴いたとき、思わず吸ってしまった痛みを持て余しながら時計を見ると、いつもなら約束の時間の五分前にはリビングに降りてきているギンカの姿が見えないことに気が付いた。不思議に思ったピアントは彼女の部屋まで歩を進める。
二、三回ノックをすると、ドアの向こうから「ピアさん?」と死にそうな声が漏れてきて、思わずぎょっとした。
「は? 何、具合悪いんか?」
「大丈夫、ちょっと頭痛いだけ」
普段の彼女から想像もつかない弱った声に慌てて問いかけると、明らかに元気がないのに気丈な返事を返してくる。その声色は、無理をしている野生動物のものにしか聞こえなくて、ピアントはノックもせずにドアを開いた。ベッドにはギンカがぐったりと横たわっており、彼女はピアントの顔を見るなり苦い顔をする。とっさに手が伸びる。けれどもその手がギンカの頭に触れるよりも早く、彼女は頭まで布団をかぶってしまった。
「いやだ、吸わないで」
ごく数人しか、ピアントの固有魔法に痛みが伴うことを知らない。それだけピアントがひた隠しにしてきたからだ。けれども、ギンカはすでに気付いていた。「ピアさんが痛いのは嫌だ」か細い声で拒絶をされて、やっとその事実に気づく。
ピアントは大きく息を吐く。頭をすっぽり隠した布団を肩まで引き下げ、ベッドのふちに腰かけた。驚きに目を開いた彼女の頭にそっと手をのせる。触れたところを中心にして赤い魔法陣が展開され、ギンカの青白い顔を照らした。
「なんで」
「俺がやりたいんだよ」
そう、やりたかった。ピアントのことを思う、彼女の気持ちが嬉しかった。初めて自分の意志で魔法の行使を行った気がする。痛みすら、なんだか質が違うようだった。
***Ginka
最近よく聞かれること。
『ギンカさんって、ピアントさんのこと好きなんですか?』
返事は決まって、否定の一言だ。なぜならギンカにとって、ピアントは上司以上でも以下でもない。だから特別な感情もなければ、彼の恋愛に口出しもしない。そんなことを思いながらも、こういうときはいつも思う。この人の女癖はなんとかならないのか。口出しなんかしたくないのだけれど。仕事に差し支えることがなければ。
最近できたばかりのおしゃれなカフェのロゴが入ったカップを持ち、楽しそうに女性に渡している姿は完全に恋人のそれだけれど、おそらく今回もその辺で適当に声をかけただけの関係であろう。この上司は好みのタイプの女性となるとすぐに声をかけ、簡単に落としてしまう。落ちてしまう女性も意味が分からない。ギンカなら絶対にお断りだが。こんなガラが悪くチャラチャラした男。
「ピアさん」
仕事が押していることも合わさってイライラしているギンカの鋭い呼び声に、ピアントはひどく残念そうな顔をして「また今度な」なんて女性に声をかける。女性のほうも満更でもない顔で手を振った。けれどもその『また今度』がないことを、ギンカはよく知っている。彼はいつもこうして声をかけては釣り上げているが、釣った魚に餌をやらないタイプなのだ。仕事が忙しいこともあるのだろうが、何より少々飽きっぽい性質らしい。ギンカがやってきてもう一年が過ぎる中、何人の女性がそうしてリリースされただろうか。
「なんだ、いいところだったのに」
「は? なにがですか?」
「は~、ほんと頭が固いやつだな」
「仕事中ですけど?」
いい歳をして唇を尖らせるピアントは、ギンカの隣に並んで恨み言を言う。いつも思う。この人の女癖さえなんとかなれば、あるいは――。
「で? 例の奴は?」
そんな思考を遮るように、す、と細まる目。先ほどまでへらへらしていた人とは全くの別人だ。一瞬で緊迫する空気がびりびりと肌を伝う。嘘だ。恋愛なんかどうだっていい。この人にはこうやって、いつまでも格好いい上司でいてほしい。
2023-06-23
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