この温度と似ている
ふわりと帰ってきた煙草の香りにカナが顔を上げたのと、目の前にマグカップを二つ手にしたリーテンガルが隣に座ったのは、殆ど同時だった。二つのうちの一つをカナの方へ差し出し、煙草の煙をよそへ吐き出したリーテンガルは、楽しげに「紅茶でいいだろ?」と口角を引き上げる。この間、紅茶よりコーヒーの方が好きだと言ったはずだが。遠くない記憶を思い起こして、内心首を傾げたが、まぁ、紅茶愛好者なだけあって、彼の淹れる紅茶はなかなかに美味しかったから、とくに不満もない。礼を言ってカップを受け取ると、暖かい熱が手のひらからそっと伝わった。帝都と違い、田舎である砂の街は、夜になると人通りが途絶え、しんと静かになる。それはリーテンガルの事務所も同様で、一番の騒音発生装置であるヒミツが寝た今、リビングにはカナ、リーテンガル、それから静けさだけが残された。静かなリビングで紅茶の熱を覚ますべく、カナがふぅと息を吹く音だけが響く。相手は行儀悪く、靴を脱いだ足をソファに載せてカナの方にまで伸ばした。
「今回はいつまでいるつもりだ?」「朝には帰る。明後日イベント」「ふぅん。水族館も大変だな」
言いながら、ちろりと視線をこちらに向け、リーテンガルが、煙草を灰皿に押し付けてマグカップに口をつける。けれども、その唇はすぐに離れた。
「なに。大丈夫?」
眉根を寄せて痛みに耐える顔をするリーテンガルに、少し動揺して声をかけると、彼は苦々しく「火傷した」と赤い舌を晒して見せた。猫舌の癖に、きちんと冷まさないからだ。
ため息をついて、サイドテーブルにマグカップを置き、彼の方へ体を倒してから頬に触れた。晒された舌先は先端が更に赤く、明らかに口に含んだものと、彼の舌の許容できる温度がかみ合っていなかったことが知れる。カナはため息をついて立ち上がり、キッチンへ。ヒミツが沢山買い込んだ冷凍食品の山の中に製氷皿を見つけて、そのままリビングへと持ち出した。いまだに痛むらしい舌を持て余して不機嫌な顔をしたリーテンガルは、カナの持ち物を見て、少し息をつく。
「ほら。口開けて」
言いながら、製氷皿から氷をひとつ取り出してリーテンガルの口元へと運ぶと、彼は少しだけ躊躇の色を見せたあと、冷たいのは嫌いだと、子供みたいな事を宣った。そのぶすくれた表情に、思わず笑ってしまう。
嫌がるリーテンガルが座るソファに片膝を載せ距離を詰めると、その唇に直接氷を押し当て、「早く冷やさないと、大好きな煙草の味がくすむよ」と、わざと悪戯に笑ってみせる。そうしてやっと、渋々開いた口に、氷を放り込む。
「……冷たい」
不満を口にするリーテンガルに、仕方ないでしょ、と載せていた片膝をどけようとすると、リーテンガルはカナの手を掴み、その指先に口付けた。しばらく氷を手にしていたことから指に伝った水滴を舐めとるその舌は、火傷の影響か、それともカナの指が冷えていたからか、やたらと熱かった。目を伏せて指を舐めるその仕草に、少し動揺する心臓を自覚して、思わず目を逸らしてしまう。さんきゅ、と笑うリーテンガルに、なんでまた子供みたいな、なんて悪態をひとつ。口の中でころころ、と氷を転がしながら、彼は返事に少し迷う仕草をした。
「……ちょっと、考え事してた。お前が、1日くらい、ここにいないかなって」
真剣な声色の言葉は、ストレートで毒がない。いつも飄々としている彼には珍しいそれに、さしものカナも少し動揺した。
カナ。
名前を呼ばれて、彼の瞳に目を合わせる。掴んだ手をゆるく引っ張られて、されるがままに体を傾けると、冷たい唇が重ねられた。合わせるだけの唇に、「なんて、嘘。騙されたかよ?」いたずらっぽい言葉。火傷も嘘だよ。なんて、演技がかった仕草で手のひらを翻す彼に、あの唇の赤さは誤魔化しようもないだろうに、と内心苦笑する。氷を噛み砕く音を聞きながら、カナは片膝を更にソファに沈みこませ、リーテンガルと距離を詰めた。体重を受けたソファが、きしりと軋む。間の抜けた声を零すリーテンガルに、カナはふ、と吐息に紛れてしまいそうな笑みを零して、彼と額を合わせた。少し長めの黒髪が、リーテンガルの頬に落ちて、音を立てる。
「一日は、無理だけど。…昼まで、いようか」
静かに告げた言葉に、満更でもない笑みが返ってきて、氷、もうひとつ、と口を開いたリーテンガルに、カナは少しだけ笑ってしまった。なんて素直じゃない大人なんだか。
//この温度と似ている(リーテンガル×カナ)
2016-11-11
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