ベルナは普段、周りの人々に興味を向けることがない。他者がどうでもよいというより、関心をもつ人物が限られているのだ。今は仁義の周りの人物――その中でも彼の幸せを支えてくれる人。そういった人物以外は、ベルナの意識から自然に排除されていた。

だからその人のことを探したのは、とても珍しい事だった。理由はといえば単純で、本の整理をしていたベルナの耳に、小さな嗚咽が届いたから。

大学付属であるこの図書館は利用する年代が極めて限られており、公衆の面前で泣く人を見たことがない。小さな子供でも付き添いでやってきたのだろうか。その場できょろりと辺りを見渡すと、左隣の本棚の奥、セットなのか寝癖なのか色んな所に飛び跳ねる亜麻色の頭を見つけた。定期的に鼻を鳴らす音が、人物をこれでもかというほどに特定させる。まさかの青年だ。備え付けられた丸椅子に浅く腰かけ、本を手にぽろぽろ涙を流す姿は幼いが、おそらく大学生。呆気に取られたベルナは思わず言葉を失い、その場で立ち止まった。

人の気配を察知したのか、青年は涙で濡れたままの瞳をこちらに向ける。やや垂れたそれは不思議そうにこちらを見たが、やがてはたりと身を強ばらせた。

「あ、その、さーせん。ちょっと、読んでて、つい、普段はこんなに泣いたりは」

慌てながら本を閉じる。言い訳を重ねて赤くなっていく顔が、なんだか面白かった。ベルナは手にしていた本を脇において、カーディガンのポケットに手を突っ込む。そこから引き抜いて差し出したものに、青年は目をまん丸にして、困ったような、やはり歳のわりに幼い顔で笑った。

「あんまり泣くと、帰れなくなるよ」
「……はは、……さーせん」

受け取ったハンカチを両目に雑に押し付け、照れくさそうにする姿はまるで子供のようだった。やがて落ち着いたのか、びしょびしょに濡れたハンカチを申し訳なさそうに畳んだ彼は、そこでやっとベルナの顔を真正面から見たようだった。何せよとても慌てていたようだから無理もない。

「これ、洗って返します。えーと、お兄さん、……司書さんですか?」

ベルナの顔と首から下げている職員証を交互に見て、彼は首を傾げたけれどこちらの返事は届かなかった。「あ、やべ!」タイミング良く被さってきた授業の開始ベルに、慌てて声を上げて席を立つ。手にしていた本を本棚に戻して、忙しなくバッグにものを投げ込んでいく姿はシャベルカーのようだ。

「絶対返すんで! ありがとうございました!」

駆けだした彼がハンカチごと手のひらを振るものだから、せっかく畳んだというのに一瞬でバラけてしまった。彼は慌てて、それでも授業に間に合わねばと始末を半端に駆けていく。残されたベルナは思わず吹き出してしまった。なんだか表情がくるくる回る人だ。

***

「ベルナ? なんかまた珍しいもん読んでんな」
「うん。ちょっとね」

帰宅した同居人に問いかけられて、ベルナはもう一枚ページを捲った。彼が読んでいた本がどうしても気になったのだ。幸い貸し出し希望者もいなくてよかった。

「おおかみくん」と名付けられたおおかみが、友達を求めて奮闘する話。かいつまんで言えばそんな絵本だった。水彩絵の具で彩られたページは優しく、けれど綴られた言葉はどこか切ない。一ページずつ物語を進めていくと、ふと、ページの端に涙の跡が残っていることに気付いた。それは最後のページ、おおかみくんが森を出て人と接しようと決意したシーン。

「……優しい人」
「は?」
「んーん、なんでもない」

優しい人だと思った。不審がる舞生に曖昧に笑って誤魔化しながら、ただそう思った。おおかみくんの成長に涙できる人。すごいと思った。他者に関心がない、ベルナにはとても出来ない。きっと彼は、どんな人のことにも一生懸命になれるのだろう。そんなことを思って本を閉じた。

「今日の飯なに?」
「ホイコーローだよ、ちゃんとマオのは辛くしてる」
「やり〜」

喜び勇んで服を脱ぎ捨てる同居人を横目に絵本を閉じた。また会えるだろうか。必ず返すと言っていた彼の言葉に嘘はなさそうだから、その時を待っていよう。まずは本の跡を指摘して、それから名前を聞いてみよう。どんな名前なのだろう。なんだかすごく、わくわくしてきた。




//君の涙が知りたい(優夜とベルナのはなし)







2021-05-26