晴れの日に唐突に現れる、通り雨が大の苦手だ。そういう日には決まって嫌なことが起こる。それがこの十九年の人生に置いての経験則だった。

光香は今回も唐突に現れたそれに、ぐっしょりと濡れ鼠になった体を震わせる。春先とはいえまだ寒さの残る中、これは一種の拷問といっても過言ではないのではないか。そう苦言を呟くと、タオルを持ってきてくれた彼は酷く楽しげに笑う。空だってたまには泣きたくなるものなんじゃないですか。そんな少しメルヘンチックなことを言うものだから、思わず面食らってしまった。

「真田さんって、作家になった方が良かったんじゃない?」

光香が所属する出版社の一室。タオルに引き続き女性社員に借りてきたのだというジャージと暖かいコーヒーを持ってきた真柴に、光香はじとりと視線を投げた。真柴は編集者という作家の創作活動を支援する側に立っているが、時折とても作家向きな言動をする。今回だってそうだ。空が泣きたくなる、なんてメルヘンな表現、絵本作家の光香でも思いつかない。知り合って数ヵ月経つが、彼のキャラクターは未だに見えずにいた。

「えぇ? 僕がですか?」
「うん、そう。多分向いてるよぉ」

暖房の効いた部屋の中、ジャージを着替えてほっと一息。目の前で暖かいコーヒーの匂いが漂うのを感じて、やっと気持ちが落ち着いた。少し水分を含んだタオルを折りたたんで机の上で枕替わりにすると、真柴が急にくすくすと笑みを零す音がした。

「えー? なに、なに」
「最初は目指してたんですよ、作家」

笑いはする癖に眉の間にはしっかり皺を刻んだ彼は、自分の分のコーヒーをそっと口に含んだ。その表情がどんな感情を示すのかよくわからない。え、じゃあ夢敗れて此処にいるのかな。もしかして地雷踏んだ? 光香は少し自分の発言を後悔して、顔を埋めたタオルの隙間から様子を伺う。

「……なんで辞めちゃったの?」
「辞めたっていうか、方向転換です。僕にとっては」
「ほうこうてんかん?」

聞き慣れない言葉に思わずオウム返し。基本的なものは最近分かるようになったが、まだまだ光香の知らない言葉は沢山ある。心のノートに書き留める。あとで辞書を引いてみよう。そんなことを考えている光香に気付かないまま、真柴は話を続けた。

結論として、彼の『ほうこうてんかん』はこうだった。在学中に一緒に仕事をしたい、一番はじめに作品を読みたい作家が出来たのだとか。自分が作家になってしまったらその夢は叶わないから、編集者の道を選んだのだという。淹れてもらったコーヒーを啜りながら光香はじっとその話を聞いていたが、ふと、その話の根幹となる彼の感情に名前があることに気付く。
「まるで、その作家さんに恋してるみたいだね」
「へ」
「だってさ、夢じゃなくてそっち選ぶなんて、まるで月九ドラマのヒロインじゃん〜。あたし、勉強のためにめちゃくちゃ観たから知ってるよぉ」

軽い感じで笑ってみせると、相手はコーヒーを飲む手を止めて、それからじわじわと顔を赤くしていった。相変わらず眉間には皺を寄せたまま。――もしかしてこの人、表情筋が素直に仕事しない人で、いまは単純に照れているのだろうか。

「いやいや、僕、会ったこともないですし」
「作品とか歌から人を好きになる展開も、あたし少女漫画でよく読んだよぉ」
「いや、それ、ささやま先生の知識偏ってますからね?」

最終的には真柴は、そんなことはないですし。と口にして、コーヒーをぐぐと飲み干した。そんな彼の一通りの様子を見て、なるほどと光香は気付く。この担当編集者は自分の感情に疎い上、表情がうまく付いていかないのだ。だからいまいちキャラクターが掴めなかった。けれど内面が少し分かってくると、なんだか急に親近感が持てる。不器用な人は、嫌いじゃなかった。

通り雨に出くわすと、いつも悪いことが起こる。けれど、今日はなかなかいい日だった。とりあえず、次にあった時には噂の作家さんの名前を聞いてみよう。簡単な日本語だったら、読んでみたい。そんなふうに思いながら、今日飲んだ甘くないコーヒーの味を思い出すのだった。次にコーヒー淹れてもらったときは、砂糖を要求しなくっちゃ。




//君と最初の一歩目を(真柴と光香のはなし)







2017-12-25