そこは四角い箱だった。 温度は一定に保たれ、不快な音など何もしない、広い広い箱。その箱の中が、あたしの世界だった。 寂しかったからペットを飼った。内緒のペットはパパからのプレゼントだった。気付いたママは、ますます箱に近寄らなくなった。ペットはいつの間にか姿を消していた。箱の中身は、またあたしだけになった。 真ん中に座ってみると、箱はますます広く見えた。次は誰が入ってくる? ――ううん、誰も入ってこないかも。それは四角い箱なのだ。本来ならば入口も出口もない。お願いして羽を生やしてもらった背中がなんだか無性に痒かった。 *** 暖かいベッドの中、緩やかな微睡みと戯れる午後のこと。妙な夢を見た気がした。起きてしまえば内容なんてさっぱり忘れているのに、なんだか切ない気持ちが抜けないのだから夢というのは実に不思議なものだ。光香はいまいち覚めきらない目を瞬かせて、微睡みを遮った音を探す。ぴんぽん。もう一度鳴ったのは、部屋のインターホンだった。天蓋カーテンを捲ってベッドから這い出すと、床の冷気が足先からひやりと近寄る。寒い。やはり冬は布団の中に限る。鍵などかけてない玄関を雑に開くと、そこには緑色の塊が立っていた。 「いや、いやいや困りますって。明日は帰りたいんですよ。……切れた」 絶望の声を上げる緑色は、そうっと開けたドアの開閉音に気付かない。シバちゃん。声をかけてやっと黒い瞳と目が合った。あたしがとっても欲しかった色だ。彼の色は少し茶色く、その透明なレンズに見ているものを明瞭に映し出す。あれ? もしかして少し目が潤んでる? 「え、なんで泣きそうな顔してるのさぁ?」 「明日午後休取ってたのに無くなっちゃって」 「……下っ端は辛いねぇ」 ドアノブを目で示して、彼を部屋へと招き入れる。そういえば今日は絶対に来ると言っていた日だった。寝ぼけ眼でふらふらとリビングへ向かっていると心配そうな声が追いかけてくる。 「光香先生こそ、体調悪いんですか?」 「うんにゃ、今まで寝ていたのさぁ」 「もう三時ですよ」 「おやつの代わりに睡眠、もなかなかオツじゃなぁい?」 欠伸混じりに笑ってみせるとシバちゃんは眉根を寄せて、声だけは可笑しそうに「よくわからないです」とだけ言った。相変わらず表情筋が仕事しないなぁ。すでに準備していた原稿を手渡して、あたしはそっと背伸びする。三時。三時かぁ。いまからまた眠って夜から作業をしようかしら。 「光香先生」 「うん?」 「三時の睡眠もいいですけど、王道のおやつもいかがですか?」 目の前にずいと差し出されたのは有名なケーキ屋さんのショッパー。確か人気で売り切れ続出と聞いていたが、なぜそんな貴重なものを甘いもの嫌いのシバちゃんが持っているのだろう。不思議に思って言葉が出ないあたしの沈黙に耐えかねてか、シバちゃんは空いた片手を所在なさそうに首の後ろに当てて、記念ですよ、と端的に言った。――記念? 「シバちゃんのクビ祝い?」 「誰がですか、あんぽんたん」 今度は不機嫌なパターンの皺が眉に思い切り寄った。それから呆れたようにため息を吐いて、今度こそ口角を持ちあげて、ほんの少しだけ笑顔を浮かべる。 「先生の初めての絵本が一歳でしょう?」 無機物に対して一歳って表現、なかなか可愛い。作家魂が『嬉しい』と『ネタになる』の二つの思いを勝手に交錯させてしまった。照れくさそうに笑うシバちゃんに、やっとのこと思い出す。そういえばこの人が初めて携わった作品も、あたしの一歳になる愛しいこどもだった。 「あはは、シバちゃん、なかなかシャレオツ」 「言い回しが古いです、……おめでとうございます」 「ありがとうございまーす。ハッピーバースデー、歌わなきゃね」 受け取った箱はすごく重たい。もしかしてシバちゃん、ホールで買ってきた? 二人しかいないのに? それでもふやけた彼の顔が嬉しくて、あたしはほんのすこし泣きそうだった。 時折やってくるこの人は、こうしてあたしを泣かせにかかる。あたしの広くて四角くて寂しい箱にシャレオツな言葉を放り込んでくれる。それだけで嬉しくて、忘れてしまった夢の答えが出たような、そんな気すらするのだった。 //四角い箱の、中身はなあに?(真柴と光香のはなし)
2017-12-25 |