随分待った方だと、自分で自分を思いっきり褒めてやりたい。折角淹れたのに冷えてしまった湯呑を手持ち無沙汰に弄りながら、文俊は胡乱げに後方へと視線を振り向けた。それでも、何故だかソファに正座をしたまま電話をしている真柴は文俊の不満に気付かない。

繁忙期を抜けて久々に会いに来たかと思えば、出したお茶に口をつける隙すらなく、既に二十分は放置されていた。会いたいなぁ、何をしているかなぁと考え始めてしまって何度筆を置いたかわからない。片手間の電話で我慢していたのも今日の為だ。流石に痺れを切らした文俊は、その場を立った。一直線に真柴の元へと歩いていき、真横に座り込む。そこまでしてやっと、真柴の目がこちらへと向いた。少しだけ隈の跡が残る濃茶色の目がどうしたんですかと言わんばかりに文俊を映す。それでも彼は、電話口との会話を止めない。仕事に対して真摯であることは長所ではあるが、今の文俊にとっては短所としてしか受け取れなかった。

「あー、そうですね。あの方の作品だと温かい色味の方が似合うと思います」
――ねぇ、俺の作品は何色が似合う?

「へ。いや、今日はちょっと予定があるので」
――ね、その予定は誰の為?

そんなことを思うと寂しくて、けれど素直に感情を出せるほど若くもなかった。だから、わざと楽しげに感情を隠すための笑みを浮かべて、ちょっかいをかけることにした。真柴のネクタイへと伸ばした指を、結び目に引っかける。途端に驚いた顔をする真柴に、にっこりと笑った。ほら、早く構わなきゃ、いたずらしちゃうぞ。そんな意味を込めて、笑みを深めてみせる。いくら鈍い彼でも、その笑みと指先の意味くらいは察したらしい。途端に眉根に皺を寄せ、一気に赤くなっていく顔で文俊の腕を制止しようと空いた片手が回された。口パクで『待って』と示されるが、分かっていないふりをする。掛けた指先を結び目に潜り込ませ、ゆるりと力を込めればそれは簡単に緩んでいった。

首元まできっちりと閉められた襟元のボタンを外すと、何も無い首元が晒される。最後に会ったとき、此処には確かに跡を付けていたのに。そんな細かなことにすら時間の経過を感じて寂しくなった。吸い寄せられるようにその首筋に唇を寄せる。

「あ、はい、大丈夫です」

その時、近付いたことによって僅かに聞こえていた電話先の声が途絶えた。やっと開放されたのだろうか。動きを止め真柴の方へと顔を上げる。

「シバちゃん、もう終わったの?」

期待が混じった声色をきっと隠せていないだろう。見上げてみれば真柴は先程まで耳に当てていた携帯を少し離して、ほのかに赤い顔でこちらを見下ろしていた。シバちゃん? 名前を呼ぼうと口を開いたが、声は出なかった。やや性急に肩に回された手の平が引き寄せた先には余裕のない真柴の顔がある。そのまま合わさった唇に、思わず瞠目してしまった。すぐに離れた唇に、動揺が隠せない。いきなりのキスも、強い手つきも、真柴がするには珍し過ぎた。言葉を失う文俊に、彼は眉に皺を寄せたいつもの不器用な表情に赤色を載せて、「……もう少し、いい子にしててください」ぼそり、と、低く小さく囁いた。いいこ、いい子。その単語もキスも、彼の表情もたまらなく恥ずかしくて、思わず体が熱くなる。こういうことする子じゃなかったじゃないか、真柴。なんて、心の中で抗議する言葉は声にはならない。

「……〜っ!」

赤くなってる自覚のある顔を見せることに耐えかねて、咄嗟に彼の胸元に顔を押し付けて恥ずかしさを隠した。そうすると鮮やかに香る真柴の匂いに、熱が冷めるのは時間がかかりそうだと咄嗟に思う自分に呆れる。同じタイミングで電話の向こうから声がする。どうやら少しの間、離席していただけだったらしい。相手の呼び声に真柴が慌てて返事をした。上目にちらりと覗き見た、彼の顔だって負けず劣らず赤いものだから、尚更恥ずかしくなった。電話が終わり、平謝りする真柴に軽口を叩く余裕が出来たのは体の熱が落ち着いてきた頃だ。

「……いい子にしてたんだから、満足させてよね」
「あはは、はい。お待たせしました」

可笑しそうに笑いながら、文俊が解いたネクタイを引き抜く真柴は、そっと文俊と距離を詰めた。長く伸ばした髪の毛に触れられ、髪同士が触れ合う音がやたらと大きく聞こえる。伏せられた瞳に、文俊も目を伏せる。鼻同士がすり寄せられ、それからゆっくりと合わさった唇は先ほどとは真逆の感覚で、じんわりと胸に温かさが広がるようだった。二度、三度と離れては重なる唇に、やっと待っていたものが与えられた気がする。次に唇が離れたとき、真柴は文俊の耳元に唇を寄せた。

「いい子でしたね、文俊」

また、そういうことを、この子犬め。カッと途端に熱くなる体を持て余し、押し倒されたソファの上、顔を隠すのに苦労した。あやさんわかりやすいなぁ、なんて愉快そうな声がやたらと憎らしくて「シバちゃんのばか」と苦言を吐くも、彼の笑い声の前ではまるで無力だった。

――ほんと、いい子だったでしょ。君に言われると、いい子になりたくなってしまうんだから、困るなぁ。





//悪い子、いい子、愛しい子。(真柴と文俊のはなし)







2017-12-25