「シバちゃんの携帯のロックなんて、ロックとして機能してないんだよぉ」

そういって笑う光香の顔が浮かんだのは、炬燵の上にぽつんと取り残されてしまっている携帯電話に気付いた時だ。若者にありがちな携帯電話への依存は、こと、真柴にはほとんど関係がなかった。今日だって、文俊の家に来てから既に数時間経ったが、一度も触ることなく置き去りにしたまま風呂に向かっていった。文俊よりも一回りも年下の二十代の癖、こういったところはまるで若者らしくない。

風呂に向かう前に真柴が剥いて行った蜜柑を一房口に運びながら、文俊は光香の言葉を思い出す。暗証番号なんだとおもう? 楽し気に笑う彼女が口にした四桁は他ならぬ文俊自身に馴染みのある数字だった。そんな会話をしたのが、もう数週間前の事である。光香があっさりロックを解除したことを真柴も知っていると聞いた。流石にもう変更しているだろうか。ふわり、と、文俊の頭に好奇心が過る。

青いケースに収まった携帯電話を引き寄せる。普段使っている自身のものとは違う機械は、文俊の手の中で不思議な違和感を放った。液晶に触れると、外国の図書館だろう、ずらりと並ぶ洋書の背表紙が映し出される。

暗証番号を求められるままに、数字を入力していった。光香から聞いた四桁は、一二一二。十二月十二日。他の誰でもない、文俊の誕生日だ。まさかなぁなんて、内心笑いながらの操作だったが、その携帯電話は驚くほどあっさりとロックを解除した。――あの子には警戒心がないのか? 絶句するのも束の間、ザルのようなセキュリティ意識以上に文俊を驚かせるものが画面に映し出される。

「え」
「あ」

驚きの声に、もう一種類被る。振り仰いでみれば、いつの間にか風呂からあがっていた真柴が、こちらの手元を見て固まっていた。お互いに沈黙が流れ、数秒間かち合った視線をもう一度液晶に戻した。細々としたアイコンの背景になっているのは、文俊だった。いつ撮られたのかわからない、酷く幸せそうにベッドで眠る自分自身を客観的に見て感じる違和感に体がムズついた。

「ええと、あの、その、」

まだ髪の毛に水気を含んだままの真柴が、顔を真っ赤にして狼狽える。その反応がなんだか酷く微笑ましくて笑ってしまった。困った。可笑しいのか、嬉しいのか、もはや自分でもよくわからない。勝手に写真を撮られていたということよりも、更に勝手に携帯の待ち受けにしていたということよりも、なによりもそんな行動をとっていた真柴の思考回路がまるで純情な少年のように思えてそちらばかりが頭に残る。おそらくこれは、嬉しいし、可笑しいし、可愛い、綯い交ぜになった三つの感情から出てきた笑みだ。

「わ、笑わないでくださいよ」
「……いや、本当に、はは、……シバちゃんって、俺の事好きだよね」

一度堰を切った笑みは止まらない。途切れ途切れになりながらも茶化すように真柴へと視線を戻し問いかける。彼は上気した顔をさらに真っ赤に染め上げて、それでも当然だと言わんばかりの憮然とした表情で「当たり前じゃないですか、何年越しだと思ってるんです」と、本当に自信満々に文俊に言い放った。

困った、今度ははっきりとわかってしまった。嬉しい。

じわじわと自分の顔が熱くなっていっていることを感じて、文俊は咄嗟に自分の隣のスペースを空いた手のひらで叩いて座れと示した。良くも悪くも素直かつ、疑うことない彼の肩に頭を預ける。まだ濡れた髪の毛からひやりとした冷たさがやってきた。

「そういえば、そうだったね」

胸を擽る不思議な気恥しさに、短くそんな言葉だけを返した。そうですよ、とやはり当然とばかりに返ってくる返事になんだか安心する。彼の事を好きになったころは、恋人として隣にいてもらっても、いつかその気持ちが冷めていくのではないかと思っていた。けれども日を追うごとにその不安は溶けていく。文俊がどんなことをしても、真柴はこうして文俊の手のひらに従って、隣に座ってくれるのだろう。





//ガラスに透けた愛情(真柴と文俊のはなし)







2018-03-18