彼はとにかく、文俊の『文章』を大事にする。著作は勿論のこと、書き置きのメモや、携帯電話のメッセージ、その他諸々。既に何度も読んだ原稿なのに、酷く緩んだ顔でまた読み返し始めた真柴を見つめ、文俊は擽ったい気持ちのまま机に頬杖をついた。 「普段笑い方下手なのに、俺の小説読んでる時はちゃんと笑えているよね」 言葉通り、真柴の笑顔は本当に酷い。癖になってしまっている眉間の皺が、いくら口元が笑っていても台無しにしてしまうのだ。 そんな彼は、自然に浮かべていた笑顔にきょとんとした色を乗せてこちらへ視線を移した。無自覚ですと言わんばかりに片手で隠された口元が勿体ない。 「そ、うです? ……意識してなかったです」 「ふふ、普段からそういう笑顔だったら、もっとモテるのに」 真柴は慣れた様子でからかい言葉を「はいはい」と軽くあしらい、また直ぐに原稿へ視線を戻してしまった。数十秒も経たないうちに、呆れた表情の緩んでいく様子が面白い。構ってもらえず少し寂しい反面、自分の作品が彼に影響を与えているという優越感も、じわりじわりと胸に溜まっていった。やがて胸一杯になった感情は、もっと欲しいと文俊の口を開かせる。 「シバちゃんはさ、俺の文章の何処がそんなに好きなの?」 次の問いかけは、彼にとってやや意外なものだったらしい。戻ってきた視線をにこにこの笑顔で見つめ返すと、彼の眉間に皺が帰ってきた。真柴は少し唸り声をあげた後、「そういえば、言ったことないですかね」と合点がいったように呟く。 「……静かな余韻と一緒に消えてく感じがするんです。すって消えた後、また染み込んで、それの繰り返し。だから、もっと追いかけてしまいたくなるんですかね」 ふにゃ、と、あどけなく笑う姿が、酷く可愛いと思ってしまった。好かれていることはわかっていたけれど予想外の表現、予想外の反応。あぁ、本当によく見ている子だと、そうも思った。 「俺もシバちゃんのこと、好きだよ」 気付けば文俊も笑っていた。弧状に反った唇はごく自然にそんな言葉を口にして、それはいたく相手を驚かせたようだ。真柴は開いた口が塞がらない、という言葉がぴったりの顔をして、それから照れや恥ずかしさや、嬉しさ、全てを混ぜ込んだ複雑な顔をする。――眉間の皺は、そのままだったけれど。 「……俺も、って。いま俺が好きだって話してたのはあやさんの文章の話ですけど」 「えぇ? 同じでしょ。俺のことが好き、って言うふうにしか聞こえなかったよ」 「う」 取り繕うように浮かべられた不満げな表情も、笑顔のまま追い討ちをかけてやれば赤く染っていく。反論の言葉が浮かばなくなってしまった真柴は、手にしていた原稿用紙に隠れるようにして小さくなっていった。 「……もしかしたら、俺、最初から、あやさんのことがすきだったのかも」 下半分、顔の見えない真柴から、ぽつりと漏れた言葉はストレートで素直なものだった。嬉しくて思わず笑ってしまうと、笑わないでくださいよとぶすくれた声が飛んでくる。 ゆっくりと手を差し伸べた。彼の頬に触れ、原稿用紙を避けながら指先をそっと下に滑らせる。何事かと驚く真柴を他所に小さく呟いた言葉は、とても自然に口から離れていった。 「……俺もだよ。たぶんね」 そうして指先が顎に届いたとき、避けた原稿用紙の影から見えたのは、幸せそうに緩んだ愛しい彼の唇だった。 //たぶん、きっとそう。(真柴と文俊のはなし)
2018-11-04 |