目が悪いのは、明らかに遺伝によるものだと思う。その証拠に兄や姉、父、祖父に祖母と家族は概ね眼鏡ユーザーだ。だから大学生になってゲームにはまったあたりから目が悪くなったことは只の偶然であるし、そのままゲームを続けていることと、更に視力が落ち続けていることには全く関連性がない。

 なんて、自分を言い聞かせる言葉をこちらに延々と話している真柴は、いつもよりどこか子供っぽく見えた。言いながらもゲームのコントローラーを手放さない彼がなぜこんなことを言い出したかというと、まぁ、単に視力がまた落ちてしまったためだ。

 文俊と出会う前も、じわじわと落ちていく視力にあわせて眼鏡を買い換えていたということだが、早急に今、その行動が必要だ。何せ電車の行き先を見間違え、逆方向の電車に乗ることを既に二回は繰り返している。

「流石に買いに行かなきゃとは思うんですけど。でも眼鏡買いに行くの苦手なんですよね」
「ふうん? どうして?」
「だって、見本の眼鏡じゃあ、かけてる姿が見えないじゃないですか。一回それでぜんぜん似合わない眼鏡買っちゃって、周りにからかわれました」

 やっと一区切りがついたらしく、ゲーム画面から目を離した真柴は、苦い顔をしながらこちらへと振り返った。文俊の膝の間に座っている猫の存在に気付いてその表情は更に苦い物へと変わっていく。

 そこまで聞いた文俊は納得して、それから次の瞬間に思い浮かんだ名案を口にした。

「じゃあ、明日一緒に買いに行く?」

 落ちた視力を誤魔化すためにぎゅうと眉間にしわを寄せて猫とにらみ合っていた真柴が「へ」と驚きの声を上げるのと、楽しい休日になりそうだと文俊が笑みを浮かべるのは殆ど同時。膝の中の猫が小さく鳴き声をあげ、それから真柴の膝を猫パンチした。

 ***

 ひえぇ、だなんて、古典的な悲鳴を久々に聞いたかもしれない。連れてきた眼鏡屋に入って、一つ眼鏡を手にして値段を見るなり、真柴の口から零れたのは感嘆ではなくまさに悲鳴だった。あまりの反応に思わず笑ってしまう。馴染みの店員の挨拶に軽い世間話を返した後、彼の隣へ近付くと、真柴は只でさえ不器用な表情しか浮かばない顔を更に固くして、小さな声でこちらの名前を呼んだ。

「嘘でしょ、俺、こんなの買えないです」
「え? 買ってあげるよ」
「え、いや、そういうことじゃなくて……!」

 真柴が手にしていたのはいつもと同じような黒縁眼鏡だった。慌てる彼を無視して、眼鏡外して、と指示をする。びくつく態度はそのままに、文俊の差し出す手のひらに、自らがかけている眼鏡を置く姿はまるで借りてきた猫のようだ。――いや、自宅の猫の方がもっと堂々とするだろうか。

 眼鏡を奪ってしまえば彼の行動能力は半減するといっても過言ではない。これかけて、あれかけて、と次から次へとサンプルの眼鏡を差し出す。おっかなびっくりながらもその指示通りにする真柴が少し面白くて、こっそりと彼に絶対似合わないであろうティアドロップ型の眼鏡なんかも掛けさせてみた。――予想以上に似合わないその姿が面白くて、笑いを堪えることが大変だった。

 そうして文俊が選んだのは、同じ黒縁眼鏡ではあったけれど、今かけている物よりもフレームが大きい物だった。

「うん。これにしよう」
「え。あ、え? はい」

 始終困惑する真柴を放置して、サンプルを外させる。いつもの癖なのだろうか、すぐに値札を確認しようとする彼の行動を遮って文俊は店員に話を付けた。普段通りに強引な文俊の行動に、真柴がじっとりとした視線を向けて、元々の眼鏡をかける。

「あやさん、流石に悪いですよ。俺、自分で買います」
「……ふふ、値段も見てないのにそんなこと言うものじゃないよ」
「え?! いくらの奴なんですか!?」
「ないしょ」

 しい、と口元に人差し指を当てて見せると、真柴はその仕草に少し顔を赤くして、それから「いっつも俺ばっかり」と唇を尖らせた。

「だって、真柴にはちゃんとした良いもので、好きなものをよく見て欲しいからね」

 店員が品物の確認をする様子を眺めながら、ふと口にした言葉は彼には威力が強かったらしい。それきり黙り込んで俯くその頬が赤かったことを、文俊は見逃さなかった。いま店員たちがいる前で意地悪をしたら、きっと慌てて困った顔をするだろうな、なんて、一応見て見ぬふりをしてあげたが。

 あれよこれよと真柴が店員に連れて行かれ検査等々を終えて、戻ってきた眼鏡はつやつやとした新品の光沢を放っていた。見るからに高級だとわかるその姿に真柴がやはり慌て出す。

「ええ、これ、かけられない……」
「なに言ってるの、これから毎日かけるんだよ」

 戸惑う真柴に笑いながら、彼がかけている眼鏡を奪って机に置くと堅い音がした。途端に悪くなる視界に耐えかねてか、真柴がこちらへの距離を縮めてくる。そっと新しい眼鏡を耳に掛けてやると、伏せていた濃茶色の目が至近距離でこちらを見た。

「……あ、ほんとだ、あやさんがよく見えます」

 言葉と一緒に向けられたのは、困ったように眉を落としたはにかみ笑顔。普段見せる表情が表情だけに、急に向けられた笑顔に驚き、更には『好きなもの』と表現した文俊の言葉を『文俊を』という視点で見ている真柴に気付く。

 じわじわと顔が熱を持っていく感覚を持て余しながら、文俊は小さく「それは良かった」とだけ返して目を逸らすことしか出来なかった。頼むから、この照れが彼に伝わらないといい。――いや、伝わったとしてもこんな人前で言及はしないでほしい。さっきこちらだってそうしたのだから。

 なんて思いも虚しく、真柴は相変わらずのふやけた笑い方で幸せそうに口を開くのだった。

「あやさん、なんだか照れてる?」




//なんて空気の読めない子!(真柴と文俊のはなし)







2019-09-08