苦手なタイプの人間から逃げるために隠れる背中は何種類かある。その背中を選ぶ理由は、どれも一様に『安心するから』だった。それなのに、いつからそれ以外の感情が混じり始めてしまったのだろう。しがみ付いた背中に高鳴る心臓を持て余し、彼の背中に額を押し付けてじっと地面を見つめた。 「相変わらず光香先生は懐いてくれないねぇ」 「タブンズットムリ……」 「ま、まぁまぁ……、ゆっくり慣らしていきましょう」 残念そうに、それでいて愉快そうに笑う女性と、片言で返事をする光香の間を取りもとうとしているのは清正だ。光香をサポートしている編集が他に担当している作家の、弟。普通に考えたらかなり遠い縁ではあったが、いつの間にかこうして大人数で出かけるようになったことから、光香にとって彼は近しくかけがえのない存在となっていた。 一向に軟化しない光香の態度にやっと諦めたらしい女性が他の人へと絡みにいくと、清正の体からもほっと力が抜けたことがわかった。彼も彼女が苦手だということはなんとなくわかっていた。それでも清正の背後へ逃げ出す光香を庇ってくれるのだから、本当に優しい人だ。彼の力が抜ける瞬間に、いつも思う。 「……キヨちゃん、ありがとぉ」 「あはは、これくらいしかできませんけど、よかった」 しがみ付いていた手をそっと放して、彼の顔を覗き込む。少し照れくさそうに笑う清正の笑顔が心に沁みるようだった。ずっと触れていた熱がゆっくり冷めていく感覚に少し勿体ない気持ちになる。その熱が冷めていくのと同じスピードで、頭の冷静な部分が浮かれる光香を戒めた。優しい人だから、困っている人がいたら放っておけないだけなのだ。背中に隠れているときの光香と同じ心臓の高鳴りは、きっと彼には存在しない。 「ねぇね、キヨちゃん」 「はい?」 「あたし、もっと頑張って、隠れなくても大丈夫になるからね」 名残惜しい気持ちはあるけれど、いつまでも彼に甘えているわけにはいかない。いつも彼がいるわけでもないし、何より苦痛を強いり続けるのは嫌だった。苦手な人物にだって毅然と向かい合えるようにならなければ。決意を伝えると、彼は少しだけ驚いたような、それでいて何故だか困ったような複雑な顔をした。光香の想定では、笑顔で頑張ってくださいと応援してくれると思っていたから少し意外だ。キヨちゃん? 返ってこない返事に不安になって名前を呼ぶと、そこでやっといつものような優しい笑顔が返ってきた。 「……はい。光香先生なら、きっと大丈夫です」 「ははー、ちょっと大きい口叩きすぎちゃったかな?」 光香よりも確信した顔でそう言われてしまうとちょっと自信がなくなってしまう。照れと失敗した時のための保険で苦笑いをしたとき、少し離れたところでわいわいと固まっていた友人たちの中の一人が、光香と清正の名前を呼んだ。そろそろ移動するころだろうか。光香は手を振って、足をそちらへと踏み出した。 「あ、」 「うん?」 清正の咄嗟の声に振り返った先で、手先に感じたのは暖かな熱だった。へ。思わず間抜けな声が漏れる。目の前にいる清正もきっと光香と同じような顔をしていた。こちらへ伸ばした手のひらを、所在なさげに自分自身で見つめる姿は、思わず手のひらだけが暴走してしまったかのような、そんな様子だった。驚きと清正の行動の真意が読み取れずに、ぱちぱちと何度も瞬きをしている光香と目が合って、そこでやっと清正が慌てて「すみません!」と大声を上げた。その仕草がなんだか面白くて思わず笑ってしまう。 急いで離れていく彼の手のひらを繋ぎ留めた。握ったそれは光香の手よりも遥かに大きくて、彼の広い背中を思い出してしまった。高鳴る心臓に耐え切れず、一度握った手のひらを離し、袖口を握るに留める。 「戻ろう、キヨちゃん」 驚きと動揺で、慌てた声を出す清正に笑って見せると、彼は表情を少し緩ませて「はい」とまた消え入りそうな声で答えた。返事を確認するや否や光香は踵を返して友人たちの元へと先立つ。後についてくる清正の顔が見られないのは自分でもわかるくらいに顔が熱いからだ。 期待をしすぎていいことなんて何もないと知っているのに、都合のいいことが大好きな光香の頭は勝手な思考を巡らせてしまう。最初に手に触れた熱の理由を、少しくらい自惚れてもいいのだろうか。 //熱に自惚れ、(清正と光香のはなし)
2018-01-06 |