「華、次教室移動だぞ、」
「ん……」

ねぼけ眼の腐れ縁は返事だけはしたものの、机から体を起こす気配はない。主が不在なのをいいことに、華虎の前の席に座った翔馬は溜め息交じりに椅子の背もたれに頬杖をついた。彼と同じクラスになり続けて、気付いたらすでに最終学年だ。最初から最後まで世話をかけさせるなぁなんて呆れるものの、実のところ翔馬は、華虎と一緒の時間が一番楽だった。

「しょうま、……つぎ、なに」
「音楽だよ。橘先生の美声カッコワライをまた聞かされるだけだけど」
「寝るにはいいな…」
「あっはは、どの授業でも華は寝るだろ」

友達は多いし、一人より誰かと一緒に居る方が好きだ。けれども常に誰かを気にしているのも気疲れしてしまう。そんなことを考えると、華虎が一番楽なのだ。大体の事は受け流してくれるし、常に雰囲気が穏やかだから細かいことを気にすることがない。――それはつまり、華虎の方は翔馬にさして興味がないという事ともイコールかもしれない、ということは置いておいて。

冬眠から起きた熊みたくやっと動き出した華虎に、翔馬も席を立つ。次の時間さえ終われば放課後だ。楽しい部活の時間。ウキウキ呟く翔馬とは裏腹に、華虎は気分が重そうに翔馬に続いた。

「なに、放課後なんかあんの?」
「いや……。寺」
「あぁ」

そういえば、感情の起伏が穏やかな華虎がこういった類の顔をするときは、大抵実家のネタが絡んでくる。子供は生まれてくる環境を選べないとはよく言うが、華虎はその言葉をとても顕著に表した子供だと思う。思い出してみたら三年生になってからというもの、週末に華虎と遊んだことはほとんどないのではないか。休日こそ寺は繁忙期だとかで、誘ったとしても大抵が断られてしまうのだ。

教室と違って冷えた空気が満ちた廊下は、少し寒い。寒さが苦手な華虎が足早になって先を行く背中に、翔馬はふと思いついたことをそのまま口にした。

「なー」
「うん?」
「放課後さ、海いこ、海」
「は……?」

何を言っているんだ、さっきの話を聞いていたか、という顔で振り返った華虎に、態とにんまり笑って見せる。

「つっても、直後じゃない。夜。迎えに行くからさ」
「めちゃくちゃ急だな……」
「うん。夜に楽しみあると思うと、ちっとはいい感じに過ごせるんじゃないかなって」

驚きに立ち止まる華虎の隣まで歩を進め、横に並んでみせる。

「あと、前に小説で書くから行きたいって言って……た、じゃん?」

少し気恥しくて誤魔化すように理由を話す言葉は最後まで続けられなかった。理由は他ならない華虎が、見たこともないような顔をしていたからだ。眉間に皺を寄せて、どこか悔しそうで、なのに嬉しそうでもある、複雑な表情。驚いた翔馬が名前を呼ぶと、彼はその表情を変えないまま「お前ってすごいな」とだけ口にしてそのまま音楽室への道を大股で歩いて行ってしまった。鳴り始めた予鈴に、慌てて後を追いかける。どういうことだ。華はいつも言葉が足りないぞ。



//欠けたものを求める(翔馬と華虎のはなし)







2018-01-06