営業と技術職というものは、往々にして噛み合わないものだ。

クライアントの要望に応えたいばかりの営業は、平気な顔で無茶苦茶な仕様変更を約束してくる。当然その皺寄せは技術職である星也にのしかかってくるわけで。おかげで家に帰らないまま三度目の夜を会社で過ごしてしまった。

やっと目処がついたPC画面を眺め、星也は大きく息を吐いた。時計を見ると、既に二十時を回っていた。だいぶ疲れた、タバコが吸いたい。思い至るが早いか、コートを手に外に出る。寒さが深まる秋の夜、火をつけた煙草を銜えたまま携帯電話を手に取った。ジャイロの効果で勝手に明るく光る画面では、数週間会えていない愛しい子がこちらに向かって緩い笑顔を浮かべている。

会いたいなぁ。三日間に渡る睡眠不足は、思考を上手く回せなくするらしい。ストレートに湧いた欲望は、とても自然に通話ボタンを押させていた。数回のコールのあと、耳元で少し弾んだ声がする。久々のニコチンを肺の中に押し込めて、細く煙を吐き出しながら、思わず笑ってしまった。

「ニカ、ひさしぶり。やっと仕事が一段落ついたよー。今日は帰れそう」
『うん。おつかれさま、いつ、かえる?』
「んー、深夜にはなるかなぁ。ニカ、明日会えないかな」
『え。……あした?』

問いかけに返ってきた戸惑いの声は、明日予定があるから渋っている、というものではなさそうだった。推測は当たっていたようで、ダメだろうかと問いかけると、慌てて否定される。

「ちょっと困ってる?」
『ううん、だいじょぶ』
「……もしかして、もっと早く会いたかった?」

嬉しさの中に寂しさが混ざった声に聞こえた。その通りに解釈をした星也が問いかけると、彼は電話の向こうで息を飲み、それから小さな声で『うん』とだけ応えた。えぇ、なんだこの天使は。

「……じゃあ、家で待ってて。できるだけ早く帰るから」
『! うん、待ってる』

さっきとは打って変わったようなパッとした明るい声に、星也は思わず壁に腕をついて悶えた。睡眠不足の頭はやはりいつもより直情的にさせる。鼻元から何が流れる感覚を感じながら、「ありがとう」とだけ答えて電話を切った。あまりにも可愛くて、もうこれは破壊兵器に他ならない。


***


三日ぶりの我が家は自宅でありながら、そうではないような不思議な錯覚をさせる。ポケットから出した鍵を手の中で転がして、エレベーターが目的階に到着するまで無意識に上を見上げていた。予想通り帰宅は深夜になってしまった。遅くなるとは言ったが、ニカノールは眠たくないだろうか。待たせてしまっている罪悪感が足を急がせる。

そうして自宅前へたどり着き、鍵を回し開けた目の前では、「あ」二週間ぶりに会う恋人がきょとんとした顔で立っていた。

「え?」
「せーやさん、おかえり」

ふにゃりと笑う笑顔は、ずっと見たいと思っていたそのものの表情だった。嬉しさと多幸感で頭がふわふわする。ただいまと返事を返して玄関に足を踏み入れ、照れや嬉しさでニヤつく声色を誤魔化そうと「玄関待機だなんて、そんなに早く会いたかった?」などと意地悪を口にする。

「うん」

帰ってきた返事はまたしても予想外。ブーツを脱ごうと片足を上げていた星也はストレートな返事に思わずニカノールへと視線を戻した。しかし彼の表情を認識する前に、細く長い指がこちらへ指し伸ばされて、鼻元へ触れた。

するりとマスクが下ろされる。ニカ? 問いかける言葉は暖かい熱に飲み込まれていった。至近距離で閉ざされた、まつ毛の長さに見惚れてしまう。

長いようで短い口付けの後、呆然とする星也を取り残した彼は、はにかみ顔で「ひさしぶり。だから、せーやさん補給」だなんて、核弾頭並みの可愛いセリフを宣った。

――やっぱり俺の恋人は天使なのではないだろうか。

同時に言葉と全身の力を失い、思わず靴も脱がずに玄関にしゃがみこんでしまった。

星也を心配して、同じようにニカノールもしゃがみこむ。覗き込んできた愛らしい顔が心配そうに歪んでいる様子を見て、参ったなぁと眉を下げて笑った。膝の上に乗せた腕に、さらに顎を乗せて、真正面からニカノールを見つめる。

「もーね、ニカが好きすぎて死にそう」

口元を隠すマスクが無い今、どれだけ情けない緩んだ顔を見せてしまっているのかわからないけれど、それすらどうだって良くなった。ぐるぐると胸に溜まる感情をそっくりそのまま吐き出すと、受け取ってくれた恋人はきょとんとしたあとに、子供みたく無邪気に笑った。

「せっかく会えた、死ぬのだめ」
「……そっか」
「そうだよ」

ふふ、と笑う姿が愛しくて息苦しい。お互いしゃがんだままの姿勢で彼の顎に指を滑らせる。それが何の合図なのかを知っているニカノールが、目を伏せていく姿をゆっくりと堪能してから、そっと唇を重ねた。

ふわりと感じる熱が酷く暖かくて、これだからうちの天使がくれる幸せは、大きすぎて困る。



//死因:君が愛おしくて(星也とニカノールのはなし)







2018-12-19