やさしい、感触がする。 ニカノールは未だ微睡みの中に居た。深い眠りの中に、じわりじわりと現実が入り込んでくる。それは深海からゆっくりと浮かび上がるような、閉じた瞼に光が差し込んでくるような、そんな感覚によく似ていた。 優しい指がそっと髪の間をすり抜けて、地肌を撫でていく。ゆっくりと同じ動作を繰り返すその指は、ニカノールを完全に覚醒させることもなく、まるで緩やかな微睡みの中に惑わせるようだった。 その優しげな感覚の正体が何者か、直感的に勘付いていた。というより、今、正体になり得る存在は一人だけだったから単純な話である。瞼に遮られた視界は深い黒色をしていたけれど、夢の世界へ片足を突っ込んだニカノールには何色ともとれない色に思えた。 「……せー、や、さん」 まだ覚醒しきっていない脳を無理矢理に働かせて、腕を伸ばす。けれどぱたりと力尽きた手が掴んだものは、乱れたままのシーツだけだった。 目を、醒まさなければ。何故だか、ニカノールは思う。半ば焦りに近い感情だった。されど朦朧とした意識の中での思考はやはり安定しない。冷たいシーツは、指先からじわじわと体温だけを奪っていく。 寒い、冷たい、寂しい。そんな負の気持ちが湧き上がってきたころ、一瞬を置いて投げ出した手が、暖かな手のひらに包まれたことを感じた。意識がやんわりと浮上して行く。水面へ浮かび上がると同時にニカノールを迎え入れた光が眩しくて、思わずぎゅっと瞼を瞑ってしまった。 「おはよ」 指先の主、星也はベッドの上で起き上がって壁に背中を預けていた。ニカノールを見下ろして、微笑みと取れるような表情を浮かべていたけれど、まだ意識の曖昧なニカノールにそれを判別することは出来ない。彼が落とした口付けを額に受けながら、握られた手のひらを緩く握り返す。 「……うん、」 視界の端に映るカーテンの隙間から、明るい日光が溢れ落ちてきらきらしている。――なんだかとても長い間眠っていたような気がする。何よりもそのことが、ニカノールを焦らせた。星也は自分と違って仕事をしている身で、定期的に寝る暇もないくらい忙しくなる。だから、一緒に居られる時間は最大限に使いたかったのに。 小さな声で返事をして時計を探したが、窓から差し込む日光の所為で逆光になってしまって、文字盤の文字は判別不能だ。握った星也の手のひらの上にそっと頬を乗せ、ほのかに青い瞳と視線を合わせる為に上へと首を持ち上げた。 「じかん、」 「うん?」 「じかん、大丈夫?」 「うん、今日は大丈夫だから。もうちょい寝てなよ」 変わらない優しい手がニカノールの髪を撫でる。その暖かさに思わず頬を擦り寄せると、ふっと、星也が笑みを溢した気がした。やはり、確固たる判別は出来ない。 「――……しない?」 「ん?」 「おきて、せーやさん、いないの、しない?」 初めの言葉は乾いた喉が掠れさせてしまって上手く伝わらなかった。再度繰り返すと、星也は少し驚いた顔をする。それから一拍を置いて、今度こそ相手が微笑んだのが解った。いつもの緩い笑い方ではなく、どこか穏やかな笑顔だった。 「しないよ。……俺ももーちょい寝ようかな」 そう言って星也はニカノールへ毛布を肩まで引き上げると、自分も再び布団の中へ潜り込んだ。やんわりとニカノールを抱き寄せ、額にもう一度口付ける。そうして彼は満足そうに微笑んでこちらの頬を一撫でし、ゆっくりと瞳を閉じた。指だけはまだ、優しく後ろ髪を撫でて行く。 先程よりも遥かに明るく、強くなった光がカーテンの隙間から差し込む。金色の光はベッドサイドに置いてあった時計を照らしたが、もうどうでもいいことだった。星也の着ているシャツの裾をつかんで、ニカノールも目を閉じる。漆黒の闇の中、頭を撫でる優しげな指の感触だけがやけに鮮明に感じられた。――目が醒めて一番に見るのはまた貴方だといい。 //指先に微睡む(星也とニカノールのはなし)
2019-03-09 |