残念ながら、非常に悲しいことに、そしてとっても辛いことに、恋人と羽美の生活は時間が合わない。夜型の職に就く羽美が起きている時、昼型の職である美照は寝ているし、その逆も全く同じことだ。美照が学生だった頃はまだ時間の融通が効いたからなんとか会う時間を作れていたものの、就職してから更にすれ違うことがどうしても嫌で同棲を強請ったほどだ。そうして新たな生活を手に入れたが、それでも辛い時は辛い。具体的には今がその時だ。 羽美は自分の頭に両手を載せていた。目の前の美照は困ったように上げた手の行き場を探している。 いつも通り夕方の出勤をしようと玄関へ出たとき、同じタイミングでドアが空いた。その先にいたのは他でもない恋人で、彼は彼で目の前の羽美に驚いたようだった。 「あれ、今日早いね……!」 予想外のサプライズに、思わず勝手に表情が緩んでしまう。彼を見ると問答無用で胸元が暖かくなるのだから不思議だ。相手はさくさく仕事が済んでさ、なんて言いながら玄関脇の鍵おきへ鍵を落とした。 「羽美は今から?」 声をかけられてはっとする。つい、靴を脱ぎ廊下へと足を踏み入れる彼から目を離せずに、逐一行動を見つめてしまった。我に返って玄関へ足を踏み出そうとするも、今度は胸がきゅうと締め付けられるような気持ちに襲われる。 「……うん、そう。……だったけど、よしくんの顔見たら寂しくなっちゃった」 会わないままだったらこんなに足が重くならなかっただろうに。思わず落ち込む気持ちで美照の服の裾を握ってしまったが、彼はその行動を諌めることなく、それどころか愛おしそうな笑い声すら落としてきた。 「そっか、……俺も寂しいよ」 すっ、と伸びてきたことが分かった。いつも羽美が強請り、彼の癖になった仕草。けれども普段ならこの上ない幸せをくれる掌に気付いた途端、咄嗟に自分の頭に手を添えてしまった。普段と違う反応に美照が戸惑いこちらの名を呼ぶ。 「いまは、それ、仕事行くのやになっちゃうから……」 言いながらも情けない、美照の表情が悲しそうで辛い。そんな風にも思ったが、それでもそうしないと自己が保てなかった。話せるのは朝、美照が身支度をする僅かな時間だけで、仕事から帰れば彼はもう眠ってしまっている。仕事さえなければ今から寝るまでの間を、ずっと独り占めできるのに。そう思うと悲しくて、じわりと勝手に涙が滲んできた。 「……そっか。じゃあ、羽美が帰ってくるまで取っとくよ」 そんな我儘な羽美の言動を受け止め、彼はまだ浮いたままの掌、その甲を頭の上に乗せた羽美の手にこつりと当てて、それから優しく笑った。 あぁ、こういうところが好きなのだろうな、と思う。どんなに支離滅裂なことを言っても、優しく羽美を認める言葉をくれる。うん、と相槌に返した声は涙声だったけれど、それでも気持ちは上向いた。今日は早く仕事を終えよう。沢山撫でてもらうために。 *** 「よしくーん?」 普段よりはずっと早く仕事を終え、帰りついた無人のリビングはいつも彼がそうするように電気が着いたままだった。――曰く、帰った時に真っ暗は寂しいだろ、と、実家暮らしの長い彼ならではの発想ゆえだ。 リビングに居ないのなら寝ているのだろう。恐る恐る覗いた寝室には、柔らかなランプの光に照らされ目を閉じている恋人がいた。 そっと足を踏み入れ、ベットサイドに座るとその縁に腕を組んで顎を載せる。目と鼻の先ですやすやと眠る姿は子供のようで、起きていなかったことは残念だけれど、これはこれで癒されて幸せだな、なんて現金な羽美は思ってしまった。 その時、思わず零した笑みのせいか、閉じられたまつ毛がふるりと震え、それからゆっくり開かれた。少しだけ薄い色の瞳が羽美を捉えたが、まだ寝ぼけ眼という言葉がしっくりくる。 「あ、起こしてごめんね」 言いながら腕から顔を上げると、そっと大きな手が宇美の頭に回る。寝ていた分暖かい熱が髪の毛に差し込まれ、ゆるゆると上下に撫ぜられた。頭ごと抱えられるように優しく引き寄せられ、耳元で聞こえたのは、ちゃんとした言葉ですらない。それでもきちんと約束を覚えていた彼の手が堪らなく嬉しくて、抱え込まれたまま美照の香りで胸がいっぱいになった。 辛うじて聞き取れた「おかえり」に「ただいま」と返す。優しい感触に胸がふわふわして、この瞬間の方がもっとずっと幸せだ、なんて、やっぱり現金な羽美は思い直してしまうのだ。 //書き変わる最上級(衛藤と羽美のはなし)
2019-07-12 |