変わった人だよね。周りはよく、彼のことをこう評した。整った顔や様になる長身とは裏腹に、いつも気だるく眠たそうにしている。人への関心が薄くマイペースかと思いきや、大好きな作家の話になると途端に饒舌になる。そんな『変わった』建花寺華虎のことが、夏乃子は大好きだった。それは恋としてでなく、最近の風潮で表すと『推し』と呼び変えられる『好き』である。何よりもその整った顔立ちが、面食いの夏乃子のストライクゾーンまっしぐらだったのだ。 今日も今日とて推しの顔を拝みに行かねば、なんて意気揚々と教室を飛び出して、二階上に位置する三年生の教室へと向かう。手には赤色のマニキュア。絶対に華虎の爪に似合うと思っていた品が手に入り、今日こそ塗ってやると強い決意を抱いていたのだ。けれども今日に限って、たどり着いた教室の端っこ、窓際でうつ伏せている黒い塊が、何処にも見当たらなかった。一限目の終わりなんて、九割九分睡眠を貪っている彼には珍しい。 「あ、カノちゃんじゃん」 意外な展開に戸惑っていると、上から明るい声が降ってきた。華虎程ではないが、よく一緒にいる人物のものだと直ぐにわかった。 「華ならね、さっき呼び出されてったよ。給湯室かな、たぶん」 夏乃子が誰に用事があるのか既に知っている上級生は、言いながら三階の奥を指差した。呼び出し、という言葉に夏乃子は小さく息を吐き、壁に背中を預けて手にしていたマニキュアを軽く横に振る。 「なぁンだ、じゃあ撤退したほうがいいですね」 「あはは、いや、どうかな」 「どうかな、って?」 「しばらく前から呼び出されたままなんだよね。あいつ今日は日直だから、もう帰ってこなきゃなんだけどさぁ」 華虎はとにかくよくモテる。高身長で顔が良く、成績も上位で家柄も良い、となれば条件は揃いすぎていると言えるだろう。夏乃子が知っているだけでも、先月の呼び出し回数は四回だ。 だから呼び出しと聞いても特に驚かないし、出歯亀ももう飽きてしまったところだった。そうなンですね。なんて覇気のない返事を返して教室に戻ろうとした夏乃子に、後ろから楽しげな声が追いかけてくる。 「だからさ、カノちゃん呼んできてくれない?」 「えぇー? なンでカノコがです?」 「こういうのは女の子が呼んだ方が相手の子も引きやすいってもんだよ。ね。センパイのおねがい!」 思わず半眼になった夏乃子に対して、彼は本当に愉快そうだ。けたけたと笑いながら掌で夏乃子を三階の奥まで払ってみせる。こういうときに先輩という立場を持ち出してくるのはずるい。抵抗の策はまだ残されていただろうけれど、仕方なしにため息をついた。 示された給湯室は三階の最奥にある。気が乗らないなぁと思いながらも近付いて行くと、やがて可愛らしい女性の声が聞こえてきた。 「やだ、建花寺くんったら。じゃあもしかして今の時間もなの?」 「……あー、寝てた」 答える側は相も変わらずやる気のない返答だ。思わず呆れ笑いを零してしまった。センパイ。そうして声をかけるべく、給湯室を覗こうとしたとき、可愛らしい声はついに核心に触れた。 「ねぇ、ずっと思ってたの。……付き合って?」 わぁ。さすがにこのタイミングで割り込めるほど図太くはない。ここまで来ると少し興味が湧いた。直球の告白にあの人はどう返事をするだろうか。数俊を置いて、やがて華虎が困ったような声を出した。ほんの一瞬、これはOKするのだろうか、なんてそわりとしてしまったのも束の間、直ぐに帰ってきた返事に思わず崩れ落ちそうになる。 「今日は家業があるから。明日なら」 違うでしょ! と夏乃子は心の中で叫ぶ。なんだってそんな返事に至るのか。そう思ったのはきっと夏乃子だけではない。呆気に取られた女性の声に、内心頭を抱えてしまった。夏乃子だったらきっと張り倒す、こんな返事。 割り込むなら今しかないな、と給湯室の影から顔を出した。そこにはいつも通りの気だるそうな華虎と、学年で一番可愛いと噂される三年生が呆気に取られて沈黙している。あーあ、お邪魔しますね。なんて、またもや内心だけで苦笑い。 「けんげーじセンパイ、居たァ。しょまセンパイが呼ンでますよ」 「あー、そっか。……じゃあ、そういうことで」 そういうことってどういうこと? 本当に明日、何かに付き合うつもりなのか? 三年生は返す言葉もないという顔だ。足早にその場から離れる夏乃子の後ろを、華虎が着いてくる。 「何考えてンですか、センパイ」 「は?」 周りに聞こえることのないように小声で囁く。聞き取れなかったらしく、遥か高いところにある頭が夏乃子の傍へと降りてきた。 「あれ、告白ですよ。交際してくださいって意味です」 「……あ、そういう」 やっと華虎は合点がいったように目線を前に戻した。天然だとは思っていたが、本当にここまでボケた思考回路だなんて俄に信じ難い。一般的な十八歳の男子が聞いたら羨む所の話ではないだろうに。犠牲者となった三年生の可愛らしい顔を思い出して不憫になった。ここまでくると、そもそも彼にそういった感情が備わっているかすら、疑問に思う。 「……けんげーじセンパイ、人を好きになったことあります? てゆか好きな人いるンです?」 「……?」 くそう、きょとんとした顔も元がいいから憎めない。溜息をつきながら曲がり角を曲がる。尚もわけが分かってない顔をする華虎が首の後ろに手を当てながら具体的な問いを投げつけてきた。 「……好き、って感情が、そも、よくわからん。どういう人のことなんだ?」 「えぇ〜?……例えばほら、傍に居ると落ち着く、とか。落ち込んでたら慰めてあげたい、とか、そういう相手のことですよ」 「ふぅん」 聞きながら、華虎は視線を落として何事かを考える顔をした。真剣そうな顔立ちは横顔すら好みで、中身がこんなじゃなかったらなぁとすら感じてしまう。華虎の教室が近くなってきた頃、背後の華虎はふと、「ん」と小さく声を零して立ち止まった。 「思い浮かびました?」 「熊楠」 「はい?」 『推し』の恋について聞けるのかと内心ワクワクしながら答えを促すと、名前を呼ばれた。振り返りながら返事をする。そこにはいつも通りの気怠い表情、雰囲気の華虎が立ち止まっていた。次の言葉を待っていると、夏乃子の返事が意外だったのか、きょとんとした顔でこちらを指さす。 「いや、お前」 その指先と、言葉の意味を理解するために、しばらく時間がかかった。先程までなんの話をしていた? まさか『傍に居たら落ち着く相手』のこと? 「……へ?!」 時間を置いて、間抜けな声が零れた。 熊楠夏乃子、十六歳。上級階の廊下の真ん中で、まさかまさかの爆弾を受ける。 「な、何言っちゃってンですか!?」 //ぐるぐる、かわる(華虎と夏乃子のはなし)
2019-07-03 |