「カノちゃん、夏でもカーディガンだよね。暑くないの?」

今日も今日とて三年生の教室に居座っている夏乃子へ投げかけられた質問は、少し意外なものだった。質問の主は不在にしている華虎の机に座って、邪気のない大きな瞳でこちらを見ている。マニキュアを塗り終わった爪に息を吹きかけ、夏乃子は笑みを浮かべた。

「あぁ、これです? これくらいがいろいろとちょうどいいンですよォ」
「ふぅん、寒がりとか?」

ストレートな質問は翔馬の裏表のない性格を堅実に表していて、面白いものだなぁと思った。一般的に言えば鬱陶しいだとか、空気が読めないと表現されるものであることは間違いないけれど、傷跡があるのでは、何か複雑な理由が、なんて噂話を夏乃子のいないところでされるよりは随分マシだ。追いかけてきた質問に対して、曖昧に笑う。

「そンな感じです〜」


***


マニキュアの楽しいところは、一本ずつに色を塗り重ねていく達成感だと思う。綺麗な指に対する色付けは、なおの事楽しい。だから華虎の指を選んだのだが、これは絶対に家事をしたことのない指だ。確信している。塗られている側は、まるで興味のない様子で片手を夏乃子に預けたまま、最近ご執心だという作家の本を読み続けていた。表紙に描かれた海月のイラストが美しい。彼が読む本は、夏乃子の普段読んでいるジャンルとはかけ離れているから、最早何を読んでいるのかも聞かなくなってしまったが。

片方の手を塗り終わったころになると、せっかく綺麗に塗れたというのに頓着のない仕草で手を動かすものだから堪らない。机の上にステイですよ、と語気強く言いつける。彼は素直に従うも、もう片方に着手すると本を読むことが出来なくなってしまい手持無沙汰の様子だ。何か話のネタがあるだろうか、と思いを巡らせてみてふと、昼休みの質問を思い出して笑ってしまった。何事かと首を傾げる華虎に、いやね、と前置いて口を開く。

「今日カーディガンの事、しょまセンパイに聞かれちゃったンですよ」
「……なんて?」
「どストレートに」
「まぁ、翔馬だしなぁ……」

他者に興味のない華虎が、こうして苦笑いを浮かべることは珍しい。それだけ翔馬の存在が大きいのだろうなぁと思いながら、夏乃子も釣られて笑った。

「ふふふ、しょまセンパイですもンね。とりあえずふわっとお返事してみました」

最後の一本に着手をし始めたところで、今度は華虎が口を開く。爪から目を離さないまま呼ばれた名前に返事をすると、机にへばりつかせたままだった片手の人差し指が机を軽くとんとんと叩いて、こちらを見るように促す。顔を上げた先では、歴代の中でも一番の『良い顔』が真剣な表情を浮かべていて、あァ、これ写真に収めたかったな、なんてことをふわりと考えてしまった。

「オレらが卒業したら、どうするつもりなんだ? 友達いないだろ」

最後の一言は非常に余計だ。思わず半眼で睨みつける。

「しょまセンパイもアレですけど、けんげーじセンパイも大概ですからね?」
「本当のことだろ」
「ン〜。……まぁ、ぼちぼちやっていきますよ」

かち合った視線に、心配そうな色が見えて居た堪れなくなった。ごく自然に、動揺なんてしていないという風を装って、彼の爪へと目を落とす。どんな顔をしているのか見えずとも、心配そうな雰囲気が消えていないことはわかっていた。夏乃子がこうしてまともに学校に来ることが出来ているのは、先輩たちの存在が大きいことを、既に華虎は知っている。

「大丈夫、これでも結構図太いンです」

最後の一本を塗り終わると、猛烈な達成感と一緒に一抹の寂しさが襲ってきて、ただ緩く笑みを浮かべる事しか出来なかった。染みついてしまった猜疑の心が消えないまま、夏乃子のモラトリアム期間は終わろうとしている。




//さよならサンクチュアリ(夏乃子と華虎のはなし)







2018-09-30