『付き合ってるんでしょ』 『付き合ってないの』 そう尋ねられた回数は、多分本人と会った回数を軽く飛び越えただろう。一つ目の不運は、声やリアクションがやたらと大きな先輩が今回の事件を知ってしまったこと。二つ目は、そのタイミングがよりにもよって周りに沢山の人が居る時だということだ。完全に運の尽きである。最早三年生にこの事件を知らない人物など誰もいない始末だ。そんなこんなで訊かれる度に、夏乃子は顔を真っ赤にしなければならない羽目にあっていた。 目の前の剣山に、ありったけの鬱憤を込めた視線を向ける。付き合ってなんていない。なぜならあの言葉を聞いた夏乃子は脱兎の如く自分の教室まで駆け込んだし、次の日、恐る恐る本気か問いかけようと教室に行ったのに華虎の言動があまりに普段通りで脱力すらしたのだ。だから多分いつもの天然ボケだと解釈して、あれ以来色めいた会話は一度もしていない。だというのに。 「あらあら、夏乃子ちゃん。今日は随分乱れているわね」 夏乃子の放つ剣呑なオーラをものともせずにかき消してくれたのは、華道教室の先生だった。物静かで優しく、まさに大和撫子。憧れの女性からの評価に、夏乃子は慌てて謝罪をした。 「謝ることは無いわよ。今の夏乃子ちゃんの気持ちなのね」 ふふ、と浮かべる笑い声までが優雅だ。まるで夏乃子と真反対な彼女の雰囲気に、いつもならば素敵、だなんてはしゃげるのに今日は気持ちが重たい。ぐるぐる回るこの憂鬱が、きっと全ての元凶だ。平日の夕方だけあって他に生徒がいないことを逆手にとって『挿し手の乱れた』夏乃子は、一つ問いを投げかける。 「さつき先生は、男友達とのこと、からかわれたりしましたか?」 空っぽの剣山を前にして一輪の水仙を手にした先生は、唐突な問いかけにぱちぱち、と軽く瞬きをした。 「えぇ? どうして?」 「……センパイがいるンですけど。普通に仲良くしてたら、周りがうるさいンです。カノコは推しを愛でてるだけなのに」 ぐつぐつ、煮え切らない気持ちを言葉にすると、尚更腹が立ってくる。そうだ、ただ推しを愛でてるだけ。アイドルにハマってるのとまるで変わらない。ぐちゃぐちゃに乱れた目の前の花をぴんと指で弾く夏乃子の隣で、先生は淀みない手つきで花を挿し続けた。そうなの、と穏やかな声が相槌を打つ。 「センパイって、いつも話してくれるおじいちゃんみたいな子?」 「……そうです」 肯定を返しながら、ふと、先生に華虎のことを話したっけ、と内心首を傾げた。なにがなんだかわからない夏乃子に、彼女は目を細めて楽しそうに笑ってみせる。 「『おし』っていうのはよくわからないけれど……でも、夏乃子ちゃんも気付いてないのね」 「へ?」 「その子の話をしてる時、まるで旦那さんの話をしているわたしみたいだわ」 へ。だか、は。だか、不思議な声が口から漏れた。にこにこしたままの先生が、もう一本水仙を挿す。 「ち……、違うンですよ!」 やっと頭まで言葉が到達した時、夏乃子は大声で叫んでしまった。いきなりのことにまたしても先生をビックリさせてしまう。自己嫌悪と恥ずかしさで小さくなりながら、じわじわと顔を両手で隠した。 「……そンなふうに、思ったら、なンか違うじゃないですか。推しだって思ってたら普通に話せるのに、出来なくなるのは、やです」 何よりも嫌だったのは、からかわれることよりも過剰に反応してしまう自分自身だったと、そこまで口にして気付いた。少し、嬉しかったのだ。華虎からそんな言葉が貰えるなんて。そう、ほんの少し、思ってしまったのだ。 恥ずかしさで顔を上げられなくなった夏乃子の耳に、ささやかな衣擦れの音が届いた。すぐにそっと髪の毛に優しい手のひらが触れ、それは毛先までを梳いていく。 「ふふ。それはそれでいいんじゃないかしら。お話出来ないのは寂しいものね」 手の平と同じ、優しい声がそっと夏乃子に寄り添った。なんだか涙が出てしまいそうだ。目元にあてた手のひらをぎゅうと握り込むと、頭をゆっくり撫でられた。 「でも、もっと寂しいことがあることも覚えていてね。何も伝えずに会えなくなるのはもっと、ずっと寂しいのよ」 優しい声に、寂しさが混じる。それでも穏やかな彼女の声は、揺れ動く夏乃子の心を落ち着かせてくれるようだった。ハッと顔を上げると、情けない涙で滲んだ視界にそれはそれは綺麗な笑顔が映る。 「わたしはそれが嫌で、この街まで着いてきちゃったわ」 そうはにかみ笑う姿は、まるで少女のようだった。憧れの女性をこんなふうに可愛らしく変えてしまう相手がどんな人物なのか興味が湧くと同時に、自分もこんな顔をしていたのかと思うと途端に恥ずかしくなる。 『付き合ってるんでしょ』 付き合ってなんかない。でも、ただ。まだ傍にはいたいとそう願う夏乃子がいることも、確かな事実に違いはなかった。 //もっと、ずっと(夏乃子と華虎のはなし)
2019-07-15 |