以前通っていた学校は、校則がガチガチに固められていて好きな格好を出来なかったことが目下の不満だった。だからこそ新天地で開放されるなり初挑戦したツインテールは、見事に夏乃子に馴染んでしまって離れない。それでも一つずつ歳をとる度に、周りの言葉が気になるようになっていく。普段自由奔放に振る舞っている、ように見せている夏乃子も、流石に堪えるものがあったけれど『やめる』という選択肢を選び取れない理由があった。 「熊楠?」 あった、はずだった。 バイトもない休日、ラフに三つ編みにしただけの姿で都心の本屋に出てきた夏乃子は、呼び声の主を見て何度も瞬きを繰り返した。相手は他でもない華虎で、彼の方はなんでもない風に指をかけていた本を抜き取りながら「偶然だな」と、なんだか嬉しそうに眉を下げて笑った。 ――夏乃子を認識している? あまりの事に、思考がついて行かなかった。そう、華虎は他人への関心が薄すぎて、何某の特徴で人間を判別している。例えば親友ならおでこのヘアゴム。夏乃子ならツインテール。 一度他の髪型をして飛びついたとき、とんでもなく不審そうに眉をひそめられた事があまりにショックで、以来ツインテールを捨てられなかったのに。 「けんげーじセンパイ?」 「うん?」 「なんでカノコだって分かったンですか?」 信じられない気持ちと同時に、じわりじわりと胸に暖かい何かが溜まっていく。堪えきれずに我ながら不思議な問いかけを投げると、華虎も同じだけ不思議に思ったのだろう。開いた本から目を離して、見るからに訳が分からないという顔をして「好きなやつくらい分かるよ」と答えてくる。 なにそれ、なに、なに。自分自身でもわかるほどに急速に熱を持つ顔に、クラクラした。きっと違う。華虎の言う『好き』は複数人に言える『好き』だ。そう分かりながらも、夏乃子の頭は既に限界が近い。 そう、限界が近い。日に日に心の中で華虎の存在が色を濃くしていく。卒業式以来、メッセージツールの返信を心待ちにするほどに。久々に彼に会った時、自分を認識して欲しいがために、年相応でない髪型を選び続けるほどに。 「センパイの、ばか」 「……は?」 「ばか、もう、なんなんですか、」 不思議そうにした華虎が、手にした本を閉じてこちらを注視する。その視線さえも心臓が高鳴らせるばかりで、あまりに大きな鼓動のせいで視界がぶれていく感覚を覚えた。 ギリギリまで溜め込んだ気持ちは、吐き出すための栓を抜いてしまえば容易く口から零れる。もう抜いてしまえ、どうにでもなってしまえ。 「す」 「あれー? カノちゃんじゃん?」 誰にも口にした事の無い二文字は、そんな明るい声に遮られ、夏乃子は飛び跳ねそうな勢いで驚いた。そうだ、華虎が一人で都内を散策することなんてほとんど無い。初めから誰かと一緒だということを疑うべきだった。 右側には無邪気に近寄ってくる翔馬、左側には遮られた夏乃子の言葉を不思議そうに待っている華虎。 二つの事象が同時に迫り来た夏乃子が選ぶことができた行動は「なんでもないですっ、しょまセンパイこんにちはっ、さよならっ」逃げること、ただそれだけだった。脱兎のごとく走り出すと、動きに合わせてパタパタ揺れる三つ編みが視界に入って華虎の言葉を頭に反芻させる。 「すき」だなんて言葉、言うつもりじゃなかった。現状の距離感のままで満足だった。それなのに思わず口にしようとしてしまったのは、ただ華虎の言葉に続きを期待したのだ。『夏乃子への好きは別格』だと。 自覚をしてしまえば単純な体全体がどくどく高鳴る。もう、言い逃れができない。彼のことが好きだ。 //とどめの一撃(夏乃子と華虎のはなし)
2020-08-05 |