生まれつき心臓が弱かった。父親が早死したのも同じ理由だったから、おそらく遺伝性の病なのだろう。自分は一体いくつになるまで生きられるだろうか。死ぬまでに何をしようか。それが毎日繰り返してきた仁義の思考だった。けれども仁義には早すぎる死は訪れなかった。時代の変化とともに、心臓を治すだけの技術や医術と巡り合うことが出来たからだ。

『もう大丈夫だ、頑張ったね』

麻酔の抜けきらない頭が認識したのは酷く嬉しそうにした医者と、ちかちか瞬く蛍光灯の光だった。あぁ、仏とはこういうものだろうか。思わずそんなことを思った仁義は、今でも執刀医を敬愛している。――けれど此木先生、あんたの息子はアホかもしれない。パソコンがたくさん並んだ教室の中、ほかの受講者が真面目にExcel関数に取り組む姿をよそに、ご丁寧にフランス語辞書を枕にして大爆睡している一人の生徒の前で、仁義は思わず苦笑いをした。

色素の抜けた色の薄い髪の毛や、吊り気味の目はまるで似ていない。仁義の勤める学校に入学してきた時は驚いたものだが、他でもない先生からよろしく頼むと言われたからにはよろしくするしかなかった。残念ながら、父親のように理知的ではない息子の頭の捻子は飛びまくっているようだが。

「此木緑助、お前にゃ関数より先に辞書は枕じゃないってことを教えんといかんようだな」
「あいたたた、ジンギちゃん痛いよ〜」
「目ぇ覚めたろ?」
「やだ、痛くしないで……。俺、初めてなの……」
「うるせーぞ馬鹿」

握った拳を彼の旋毛にぐりぐりと押し当てて逃げ惑う首を捕まえてしまうと、観念した相手は広げた手のひらを『降参』のポーズにした。

「また夜更かしか?」
「へへへ、うん、新作の映画観漁ってた」
「程々にしねぇと、また単位落としたら後がないからな」
「はーい」

邪気の無い彼の笑顔には毒気を抜かれる。そういえば、フランス語学科に入学してきた理由を尋ねた時もこんな笑顔を見せてきただろうか。

『俺、フランス映画に関わりたいんだ』

まるで親とは似ていない吊り目をキラキラさせてそう答える彼の表情は、手術に成功したときの父親のそれとそっくりで、何処か心の隅っこが暖かくなったことをふと思い出してしまった。思わず笑ってしまうと、耳聡く笑い声を聞きつけた此木が顔を覗き込んでくる。

「なんだよ」

ごまかし混じりに平坦な声で問いかけた返事は「ニヤニヤしちゃって〜、彼女とのデートでも思い出した?」なんて先生とは似ても似つかないアホな言葉だったから、やっぱり前言撤回だ。




//遺伝子の悪戯(此木と仁義のはなし)







2018-01-06