血の繋がらない妹が帰ってくるなり我が侭を言う時は、彼氏となにかあったときだ。そういうとき仁義は決まって彼女にココアを入れて、自分の部屋の座椅子を明け渡し、『どうしたんだよ』と聞いてやる。まるで母親みたいだ、と内心で思うものの、まぁその位置取りは仁義も嫌いではなかった。元来の面倒見が良い性質と相まって、それなりに歳を取って出来た妹の存在は癒しでもある。そんな仁義にとっての癒しはココアを一口飲む、と思いきや、あろうことかマグカップ一杯を一気飲みして、それから「別れた!」大きな瞳から涙を零しながら叫ぶようにして言った。――これは、今日は長くなるぞ。

そんなことがあったのが二日前。たったそれだけの時間しか経っていないのに、巡り合わせとは数奇なものだ。

仁義の職場は県立大学の事務室だ。本来ならば何人かに分けて行う仕事ではあるが同僚が産休に入ったため、各種証明書の発行・会計・資格試験の講座、仕事が仁義の目の前に山積みになっていた。確かになっていた。だからといっていつの間にか上司がアルバイトを募集していたことに驚いたし、まさかそれに応募してきたのが、

「はじめまして、真田真柴です」

二日前に散々聞いた名前を名乗る人物だなんて。思わず「マジか」と口にしなかった自分自身を褒めてやりたい気分だった。数年勤めているが、『平和』という単語を具現化したような職場にこれ以上の驚きは今後訪れないだろう。引きつる顔をどうにか誤魔化し、仁義は彼の前に手のひらを差し出す。相手は少しほっとしたような顔つきで、その手を握り返してきた。

「よろしく。バイトの間、一応俺が上司ってことになる」
「はい! よろしくお願いします。えっと……」
「あぁ、悪い。佐布仁義。名詞渡しとくな」
「佐布、さん」

渡した名詞をじっと見つめて、真田は口を噤んだ。それは嫌でも気付くだろう。『佐布』という名字は繋街では珍しい。それどころか仁義の家系の一世帯しかその名字を名乗ることはないのだから。出来ることならば、なにも知らないですといった顔で仕事をしたかったのだが、そうすると彼は今後一方的に気を使い続けてしまうだろう。業務にしても、彼の精神衛生上にも、無駄な負担はかけさせたくなかった。仁義は彼の肩を軽く叩いて苦笑いをして見せる。

「お察しの通り。君の元カノは俺の義妹。いや、だからといって特別な感情もないから、気にするな。……っていうのも難しいだろうが、まぁ、気負わんでくれ」

実際仁義は義妹が誰と付き合おうが誰と別れようがさして問題にはしてなかった。彼女は彼女なりの道を歩めばいいと思うし、それは彼も同じことだ。仁義が口を出すことでもない。苦い顔をした彼は、そこでやっと笑みを零した。笑みといっても、眉間に皺が寄った苦笑いといった類のものだ。無理もない。別れを告げられた側も、別れを告げた側も、二日なんて短い時間じゃ心の整理はつかないだろう。

「……彼女、元気ですか?」
「元気っちゃ元気だし、元気じゃないっていや元気じゃないな。ボルダリング始めたよ」
「ぼる……そういえばやりたいって言ってましたね……」
「あぁ、そうなんか」

恐る恐る、こちらに話しかけてくる真田に苦笑する。彼は過去の記憶を思い出して笑ったようだが、その笑顔に元気はなかった。義妹は別れを告げた側で、泣きながら仁義に愚痴を零したものの、具体的に別れを切り出す決定打については頑なに話さなかった。ここまで落ち込むということは彼の側に大きな原因があるのだろうとなんとなく察したが、その次に彼の口から出た言葉に、ほんの少しだけ仁義の気持ちが曇る。

「ずっと誘われてたんですけど、僕、他にしたいことがあって。それがダメだったみたいです」

結局のところ、その一言で彼女が不満としていたところを少し理解できた。義妹はとにかく構われたがりだ。幼い頃から周りに人が絶えず甘やかされっぱなしだった彼女にとって、『構われない』ということは非常にストレスなのだと、いつだか本人から聞いたことがある。構いたい、構われたいという関係性は、お互いのバランス次第だ。彼らはその点で噛み合わなかったのだろう。思わず苦笑いしたくなる気持ちでいっぱいになった仁義だったが、まぁ、いろいろあるわな、なんてありがちな言葉で場を濁すに留めた。

「ま、あいつはこっちが思っている以上に図太いから心配しなくても大丈夫。むしろ俺は君の方が心配かな」
「いや、僕が悪いので…。むしろよく殴られなかったなって思いました」
「そんなにか。君、人を怒らせるの得意なのか?」
「あはは、たまに言われるので、そうかもです」

第一印象は『マジか』。次の印象は『ソツのない好青年』。事務室までの道を先導しながら、仁義はのんびりそんなことを思った。現実主義の義妹が選ぶだけあって、このまま上手くいっていたらきっと良い夫、良い義弟になっていただろう。けれどももう砂上の夢だ。少しだけ残念だなぁなんて思いと共に、事務室の自動ドアの前に立った。静かに開くドアに、空調で完璧に管理された暖かい空気が仁義たちを迎え入れる。ま、頑張ってこうな。そう言葉をかけると、青年は緊張した顔にぎこちない笑顔を載せて、よろしくお願いしますと繰り返した。あぁ、やっぱり、ほんの少し残念だ。



//好いた惚れたも毒のうち(真柴と仁義のはなし)







2018-02-24