子供の頃に始めた大人の真似事は、すっかり体に染み付いてしまって最早行き場所がない。一息ついている隙間、気付けば指の間に有害物質が収まっていた時には流石に笑ってしまったものだ。もはや煙草がないと生きていけない体なのだろうと思う。そんな仁義に対し、実姉も義妹も良い顔はしない。時折手渡される禁煙グッズに苦笑いを返すが、そんなに簡単に辞められたら苦労しないのだ。

だから、無意味なくらい長く伸びたまつ毛に縁どられた瞳が、キラキラとこちらを見つめてきた時は反応に困った。「ベルナも吸いたい」年齢の割にやや言葉の拙い彼、同居人でありペットみたいな弟分、ベルナ・ワイマールは欲求を告げた。静かに、それでいて拒否を許さない口調で。

「はぁ? なんだよいきなり」
「仁義さんが吸ってる煙草、吸いたい」

二回目は丁寧に。生徒達の往来が少ない穴場の休憩所で、大の男二人が妙な問答を繰り返している。変わった状況に仁義は思わず笑いながら、煙草の煙を緩く他所へと吐き出した。

「キレーな肺はそのまま取っといたほうが、死んだ時、鐘ヶ江先生に高く売れるぞ」
「え。カオルそんなことしているの」

冗談をそのまま受け取る素直なベルナが目を真ん丸にして尋ねてくるから堪らない。冗談だよと返事をするものの、まだ半信半疑の様子だ。

煙草が吸いたい。早寝早起き、好き嫌いもなく健康志向そのもののベルナにしては珍しい。その思考に至った経緯を尋ねると、彼はベンチから身を乗り出し少し高揚した様子で「仁義さんの真似」と楽しそうに笑った。彼の体から離れた家の鍵が、ちらちらと光を反射して煌く。なるほど。いや、待て待て。納得しかけて思い直す。

「真似?」
「そう、真似。仁義さんの」

問い直したところで返ってくる返事は全く同じもので、仁義は小さく息を吐いた。幼いとは思っていたけれど、こんなところを真似しようと思うとは。

「あー、言っとくけどよ、別に美味いもんでも何でもないぞ」
「そうなの?」
「そうそ。定期的に吸わないとイライラするようになるわ、金も飛ぶわで大変大変」
「……そしたら、なんで仁義さんは吸ってるの?」

無垢な表情が痛いところを突く。彼が首を傾げる動きに合わせて、また胸元の鍵が煌いた。なんで、と聞かれてしまうと、理由なんてない。ただダラダラと惰性で続けているだけの悪癖に過ぎないのだ。それでも彼を目の前にすると何か理由を述べなければならないようなそんな気持ちになって、思わず「かっこいいから、かな?」なんて、至極頭の悪い返事をしてしまった。

「じゃあ、ベルナにうってつけ」
「は?」
「仁義さんみたいになりたいから」

そう言って赤いケースから一本抜き取られていく煙草を、止めることは出来なかった。彼はいつも、仁義を誤解している。彼を拾ったのもぽっかり空いた心の空洞が涼しかったからに過ぎないし、とても良い人間とはいえない。慣れない手つきで彼の指の間に収まった煙草から煙が昇り、嬉しそうに笑うベルナの表情に、ちくりと胸に棘が刺さったようだった。



//煙越しに歪む(仁義とベルナのはなし)







2018-08-02