風に煽られ次々舞い落ちる花びらが、まるで冬に降る牡丹雪のようだった。殆どの花びらが散り、緑が覗くその足元には、幾重にも白が折り重なっていた。気持ちが悪い。本能的に、そう感じた。決して泥や雨に汚れているわけでもない。ただ、仁義にとってそれは、かつて咲き誇っていたものの成れの果てに過ぎなかった。見ていられずに目を逸らす。するとタイミングを合わせたかのように名前を呼ばれた。聞き覚えがある声だ。振り返りたくなかった。振り返ることが怖かった。返事をすることを放棄していると、後ろから足音が近付いてくる。そうして再び名を呼ばれ、咄嗟に逃げ出そうと足を踏み出した時、――やっと目が覚めた。

 カーテンの隙間から零れる光に目を細めて、寝起きの重い息を吐く。昨晩シャワーを浴びて、すぐ眠り込んでしまったらしく、いつもはストレートに伸びた髪が見る影もなく大爆発していた。手櫛で前髪をどうにか押さえつけながら、もう一つ、ため息。

 仁義の半生において『決断』とは、いつも彼女がいてこそ成り立ってきた。例えば小学校の合唱コンクールでのピアノ役は、彼女がどうしてもというから買って出たし、受験する高校も同じ区域がいいと希望を受けて決めた。そうやって生きてきたからだろうか、人生で最初にして始まりの、自分一人で下した決断が心の奥底に根強く染み付いているのだ。夢に見る回数は減っているものの、見るたびに気持ちが滅入る。

 重い体を起こし、キッチンに向かう。家族の性分ゆえに整えられたキッチンはやや無機質で、少し踏み入りがたい雰囲気すらあった。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、一口煽る。冷たい水が喉を流れ、冷気で首筋が泡立った。

 仁義がそうだったように、きっと彼女も一人では生きていけなかったのだ。ソファに腰掛け、そんなことを思う。従妹という近い距離からいつも一緒。なんでも言うことを聞いてくれる仁義を頼りにしていることは分かっていたし、彼女に頼られること、彼女に笑いかけてもらうことが、なによりも嬉しかった。そうしてもらうためなら、なんだってできた。その愛情が家族の枠を飛び越えた時も関係は変わらず、かといってお互いに言葉を伝えず、それでも分かっていた。相手も自分を必要としていると。

 けれども仁義の時間に直、終わりが来ると気付いたとき、急に怖くなった。何処も彼処も白い病室で告げたさようならの言葉が、今でも忘れられない。怖かったのだ、彼女を自分の手で幸せにできないことが。弱る自分を見せることが。

 ――そう思っていたことは事実で、そして彼女にもそう伝えた。けれど、本当に怖かったことは、別にあった。彼女はきっと仁義の代わりを見つけてしまうだろう。誰かとでないと生きていけない彼女は、仁義の場所を新しい人で上書きしてしまう。醜いエゴだった。最後まで彼女を忘れずに死ぬであろう自分のまま、その姿を見ることが酷く辛くなったのだ。

「お互いに忘れよう」

 本音を隠し、エゴを隠し、嫌だと泣く彼女を無視した。はじめて聞く「好き」の二文字が、やたらと心に刺さった。やがて縁談を受けた彼女は結婚し、家庭を持った。仁義はというと奇跡的にも死に損ない、今も同じ場所で暮らしている。

 募る後悔を伝えられないまま、いたずらに彼女の心を傷つけ、彼女のことを好きなまま、全部をあの日に置いて来てしまった。

 以来全ての決断は、仁義一人のものだったけれど、きっとどれもが正しくはなかった。

 仁義の人生は、あの時から止まっている。どんなに時間が経とうとも、心はずっと取り残されたままなのだ。小さく息を吐く。手放したのは自分だ。いまさら取りに戻ることなんて出来ない。お互いに忘れよう。あの言葉を飲み込むには、あまりに苦味が強かった。



//「お互いに忘れよう」(仁義のはなし)







2019-05-11