何処か、違うところを見ているなと、初見で思わせる。そんな存在感を持った人だった。外見は別に特別ではない。――いや、その長身と整った顔立ちは目立つはずの要素ではあった。けれど本人がまるで認識されることを嫌がるかのように人目を避けて行動していたために霞んでいたのだ。

 だから汐田が彼のことをしっかりと見たのは、後期の授業開始から一カ月が過ぎたころだった。それも、真隣に座ることになって、はじめて、だ。

 隣が空席か尋ねると、彼は酷く低い声で囁くように何かを端的に答えた。聞き取れずに聞き返すと、ほんの少し大きな声で「空いていると言った。二度も言わせるな」と睨まれる。それからはまるで汐田など最初から居なかったかのように、訳の分からない言語が飛び出す授業にじっと耳を傾けていた。一般的な学生がするようにノートを取るわけでもなく、ただ聞いているだけだったけれど、その目はとてもまっすぐで思わず数回、横目に盗み見るほどだった。

「ねぇ、何学部の人なの?」

 授業終了後、ただちに席を立つ彼に問いかける。受け手側はまるで自分が失敗したかのような顔をして、それから「何故だ」と問いを返してきた。質問に質問かぁ、なんて内心で笑ってしまう。

「随分熱心だなって、気になって。英語なんて適当にとるでしょ、みんな。英文科とか?」
「些末な授業さえ適当にしか取れない人間が何故学び舎にいるのか、僕には理解が出来んが」
「まぁまぁ、目標を見つけるために大学に来る人だっているさ。私もそのひとりだし」

 昨今大学に入る学生の多くは、将来図や目標を曖昧にしたままだ。その中で明らかなる目的を持っていることは、彼の話しぶりから確信した。ますます興味が湧いて、左手を差し出す。

「私は汐田。海洋学科の二年だよ」

 にこりと笑ってみせる。逃がしはしないぞと思いを込めて。

 すると彼はまたしても苦い顔をして、それからこちらの顔と手を一度ずつ、きっかり三秒見つめてから渋々といった感じで握った。ただし、一秒もせずに捨てるかのように払い除けたが。三秒も見つめて考えたくせに、そんな扱いがあるだろうか。

「計見だ。考古学科、二年」
「へぇ、考古学! 学者になりたいのかい?」
「だから、なぜそんな話を君にする必要がある」
「握手して名前を名乗ったんだ。もう友達だろう」
「理屈が理解できないし、僕は友など必要ない」
「またまたぁ、病欠のときとか便利だよ?」

 足早に立ち去ろうとする彼、計見の後ろを小走りで追いかける。苦笑いしながらそう返すと間髪入れずに返ってきた言葉に驚いた。

「必要ない。英語なぞ、母国語で話すのと同じだ。もう着いてくるな」

 嫌々答えてやったと言わんばかりの台詞。けれどもおおよそ一般的ではない内容に汐田は思わず彼の手を取った。急な行動に薄い色の瞳が見開かれる。

「もしかして君、英語圏に住んでいたのか?」
「……九年居たが」
「なるほど!? じゃあこれが読めるね!?」

 そう言って嬉々として自身のバッグから取り出したのは、それはそれは極厚の専門書だった。英語に疎い汐田にとって、その文字の羅列全てが暗号だ。読みたい本は決まって神様がすべて暗号にしてしまうものだから、頭を抱えていたところだったのだ。意気揚々と取り出す様子に、計見がぎょっとしたことは肌で感じたが、最早止める気もない。

「助かるな! 私は全然英語がダメで! この後の用事は?」
「は」
「一階のカフェに行こう、それならゆっくり出来る!」

 呆気に取られる彼に本を押し付けて腕をとり、半ば引き摺るようにして教室から連れ出した。胸いっぱいのわくわくが弾け飛びそうで、幸せで堪らなかったことをよく覚えている。


 ――「って感じだったかな?」

 なぜあの教授と知り合いに?

 なんて単純な疑問を問うた瀬夜は、げんなりとした顔で「そうですか」とだけ返した。答えながら一枚ページを捲った分厚い専門書は、英語で綴られている。目の前でにこにこしながら和訳を待っているこの人は、本当に昔からなんにも変わってないのだな。



//よくもわるくも(計見と汐田のはなし)







2019-12-01