予定外の訪問者

 毎日毎日、同じことの繰り返しだ。

 ――なんて、ありきたりなモノローグで始まる人生が嫌で、この仕事を選んだ。刺激的な日々、予測出来ない動的な出来事。そういった非日常で満ちた世界で生きていきたかった。それなのに、どうしてこうも自分の日常は味気がないのか。指に挟んだ煙草の先から、沈んだ闇夜へ白煙が昇っていくのを見つめて、リーテンガル・シャエランはそう独り言ちた。

 襟足を長く伸ばした色素の薄い髪、横髪が跳ねた顔のパーツはやたらと整い、水晶玉をはめ込んだように綺麗な瞳をした彼は、服装こそ、スーツに目深にかぶった黒いキャスケット帽と落ち着いていたが、一見すると十代後半にしか見えない。けれども、そんな幼い風貌とは裏腹に、彼の実年齢は二十五歳である。職業は、いわゆる探偵というものだ。とは言えど、浮気調査やら、ペット探しやら、そんなつまらないことをしたことは一度もないし、するつもりはない。彼の専門は荒事の解決。殺人事件やトラブルの解決、国の仄暗い隠し事の調査、その他諸々。今日も今日とて、殺人事件の犯人を捕まえて、依頼人に引き渡してきたところだ。

 そんな刺激的であるはずの毎日が無感動に過ぎて行くのは、きっとどれもこれも、リーテンガルの予測の範疇から抜け出せないからだ。この仕事は何年も続けているが、予想外の出来事など数えるくらいしか起こったことがない。そろそろこの職に、潮時を感じていた。

 人混みを避け、砂漠にほど近い場所に建てた彼の事務所の周りは何時だって静かだ。街灯すら殆どない暗い夜道を慣れた足取りで進むと、三階建ての青い屋根の建物が目の前に現れる。同じく慣れた足取りで玄関へと進み、ドアノブを掴んだ。

「……?」

 いや、掴もうとしたが、ドアノブが、ない。正確には無理やり捩じり取られたような痕跡を残して、本来あるべきところではなく、玄関の隅に申し訳なさそうに転がっている。ただ事ではないその状況に、リーテンガルは扉の向こうに意識を澄ませた。こんな仕事をしているのだから、どんなことがあってもおかしくはないけれど、今回の事象はやや想定外だ。想定外の事象は何時だって楽しい。どこか心が躍るような感覚を覚えながら、そっと扉を押す。錠を失った扉は音もなく開き、薄暗がりに包まれた見慣れたリビングへとリーテンガルを誘った。

 一歩を踏み出すと、こつり、革靴の底が音を立てた。次いでソファの後ろから、一つの物音。

「……人の留守に上がり込むなんて、躾がなってねぇなぁ?」

 くつくつ、笑って片足を持ち上げる。フローリングの床に、二度つま先を打ち付けた。瞬間、足元に青白い光が迸る。光は棚引くベールのようにリーテンガルの周囲を舞い、その先端が床へと触れると同時に、眩い輝きはそのままに一本の線を形作った。それはリーテンガルの足元を守るように、彼を中心に複雑な文様を描く。光に照らされた彼の目は、少しばかり見通しがよくなった部屋の中へと視線を巡らせた。

 ドアノブを捻じ取るほどの怪力だ。さぁ、どんな奴が出てくるか。

 そんなことを思ったとき。ひょっこりと。リーテンガルのお気に入りのソファの後ろから、長い赤毛を高い位置で二つに結った、幼い顔の少女が顔を出した。

「……は?」

 呆気に取られて変な声が出た。連動するように光も少し輝度を落とす。物音や気配は一つだった。つまりドアノブを捻じ取って、部屋に侵入したのはこの少女。さらに、――。

「お前……、何を食べている」

 リーテンガル秘蔵のカステラを両手で鷲掴んで食べているのも、この少女。


***


 外見的には少女だが、どう考えてもゴリラ並みの腕力を持っているだろう彼女の前では、どんな拘束も意味をなさないだろうと思っていた。が、まさかここまでとは思わなかった。登山用のザイルをも涼しい顔で引きちぎり、リーテンガルの制止の声も聞かずに、カステラ一本、丸々平らげて、彼女は満足そうに大きな紫色の瞳を細めて笑みを浮かべる。ソファに座り、頬杖をついたリーテンガルの口からは、本日何度目かわからない溜め息が零れた。

「お前……とりあえず名前は」
「秘密!」
「人ん家に上がり込んで何が秘密だ、警察に引き渡すぞ」
「違う、ぼくの名前、ヒミツ、っていうの」
「はぁ? なんだそれ、お前の親は馬鹿なのか」
「おかーさんは、ぼくのこと、ヒミツにしたかったんだって!」
「……あぁ、そう」

 いわゆる『要らない子』という奴だと、リーテンガルは少しだけ彼女の素性を理解した。この世界は、貧富の差が激しい。帝都で富豪が闊歩する反面、農村では日々の食べ物にすら難儀する人間もいる。そんな中で生まれてくる子供の中に、『要らない子』が混じるのは必然だった。裏路地にはロストチルドレンが溢れている。彼女もその一人だと思われた。

 幼い言動が特定をやや難しくさせるが、年のころは十六、十七歳くらいだろうか。黒い浴衣に似た服は煤けているが、そんなに悪いものでもない。『要らない子』が、その歳まで生きてこられただけでも、この少女は幸運だったと言える。――たとえ、この腕力で、同じように人の家に上がり込んで物を食べていたとしても。

 『要らない子』には、馴染みが深い。聖人みたいな性格はしていないけれど、このまま警察に引き渡すのは、少しだけ目覚めが悪かった。

 引きちぎられて床に散らばったザイルを足で避けながら、リーテンガルはソファの上の彼女へと、玄関を指差す。

「オレが食うのを楽しみにしてたカステラ食ったことも、我が事務所の門番を捻じ取ったことも、今回は許してやる。さっさとオレの前から消えろ」
「えっ、また来ていい!?」
「何処をどう聞いてそう判断したんだお前!?」
「ぜんぶ!」

 軽やかにソファから飛び降りた反動で、二つ結びの髪がふわりと揺れる。満面の笑顔の彼女は嬉しそうにスキップをして玄関に向かい、拒絶の言葉をすべて無視して、開け放しのドアから出て行ってしまった。

「いや。いやいや、来るなよ。絶対だぞ!」

****

 後釜は絶対に強いものを、と、リーテンガル自らが選定した強化金属のドアノブが無残に捻じ取られているのを発見したのはその一週間後。一瞬でリーテンガルの心がぽっきりと折れてしまったのを、それはそれは嬉しそうな笑顔で迎えた少女が気付く筈もなかった。

「お帰りなさい!」
「帰れ!」



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2015-08-04
推敲:2016-09-08
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