行きついた思考

 事件の成り立ちは、実にシンプルだ。雑伎団の団員が消えていく。ただ、それだけ。

 彼の運営する雑伎団は、帝都で一番大きな団体だ。それ故に所属する人間の数も、他の劇団とは桁違い。団長、副団長の役職二人と、老若男女、合わせてゆうに二百人は越えるだろう。その中から一人ずつ、忽然と消えていく。前振りも、証拠も、果てには共通点すらない。

 一連の現象を説明し終わったところで、男――団長は重たいため息を吐いた。一番始めに事件が起こってから、すでに十人が消えた。所属人物の二十分の一だ。ほとんど毎日公演を行う雑伎団にとっては、相当な痛手だろう。

「目撃者もいないんだ、団員はみんな、別々に家を持つせいだろう」
「ふうん……で、共通点もない。……それぞれ、当日は何をしてた?」
「昼は公演に出ていたよ。消えた夜は、それぞれ部屋だったろうね」

 リーテンガルは招かれた部屋に入ってから二本目となる煙草に火をつけながら、ちろりと壁に掛けられた大きな写真に目をやった。たくさんの人物が集った集合写真。楽しそうな笑顔、隣同士の人間と肩を組んだり、ウィンクをしあったり。仲睦まじいその様子を見る限り、この雑伎団は相当に内々の仲が良いのだろう。写真の真ん中にいるのは、今目の前で暗い顔をしている男だ。精悍な顔立ちを機嫌が悪そうに歪めている男と肩を組み、幸せそうな笑顔を浮かべている。意気消沈する彼の心労が、写真と表情を見比べるだけで何となくわかった。

 煙草の煙を吐き出しながら、考える。部屋から人が一人いなくなる。自発的な動きでなければ何かの痕跡が残るはずだが、帝都軍が動かないと言うことは、おそらく――。

「……帝都軍が匙を投げたのは、事件性が見あたらないからか」
「その通りだよ。部屋もドアも、全く押し入られた形跡がない。帝都軍は、家出だろうと」

 此処、帝都を含め、この国の治安を維持するために動いている組織を、帝都軍という。名前の通り帝都の軍隊で、彼らは市民の要請により事件の捜査を行うが、該当の事件に事件性が見当たらない場合、テコでも動かないという悪癖があった。そんな彼らの後始末を担うのも、リーテンガルの『仕事』の範疇だ。腰の重い帝都軍に頭を抱えさせられた過去が、記憶に根強く残っている。

「――それでもオレを頼ってきたのは?」

 写真から離した視線を向けると、団長は少し覇気のない、それでも希望を残した瞳でまっすぐに視線を返した。

「家出などするような子たちではないことを、重々知っているからだ」

 その青色の瞳には強い意志が確かにあった。彼の言うことなら、きっと団員たちは本当に家出をするような人物ではないのだろうと、疑り深いリーテンガルでも信じることが出来るような、そんな真摯な視線だった。

「……いいぜ、この依頼受ける。なかなかオレ好みだ」
「ありがとう、断られるのではないかとひやひやしていたよ」
「……思ってもないですって顔じゃねえか」
「おや。顔を作り損ねたかな」

 にっこりと笑みを浮かべたままの団長に、じとりと視線を投げると、彼は肩を竦めてわざとらしく笑った。こういう人物は、嫌いではない。素直で、それでいて策略家だ。抜け目なく周囲を観察していて、それ故に滅多に間違いを起こさない。煙を吐き出しながら白々しいな、と笑うのと、笑みを含んだ団長の瞳がリーテンガルの後方へ向けられたのは、ほとんど同時だった。

「ところで、さっきからあの女の子は何を……」
「……あぁ、気にしないでくれ、取れた頭のネジを探してるんだ……」

 訝しげな団長の視線の先には、なぜか床に倒れ込んだ状態で、一人七並べをしている少女の姿があった。少し目を離したらこれだ。短く名前を呼ぶと、彼女は待ってましたと言わんばかりに勢いよく飛び上がって、後ろからリーテンガルの首に腕を回す。仲が良いのだね。微笑ましそうな団長の言葉に、苦笑いを返すことしかできなかった。『仲が良い』という風に形容するような間柄とは、また違うような気がする。

「少し帝都に残る」
「はぁいー! じゃあじゃあ、もっと美味しいもの食べれるね!」
「お前は食うことしか考えられないのか……」

 呆れたため息に、団長の笑みが被さってくる。ヒミツと一緒に過ごすようになってからというもの、他人に笑われることが増えた。

――さて、調査を始めるとして、必要なものは。

「居なくなった団員の、顔と名前、それから住所が欲しい」
「写真と、名簿でいいかね?」
「十分だ」

 リーテンガルは、に、と笑みを浮かべて、短くなった煙草を綺麗なガラスで出来た灰皿に押しつけた。さて、久々の『よくわからない』事件だ。胸の隅で小さな紙片がくるくると踊るような、くすぐったい感覚に気分が高揚していった。


***


 団長から預かった十葉の写真と現在の団員の名簿リストを交互に見比べながら、リーテンガルは都立図書館の隅で小さく唸り声を上げた。

 彼の家を出て、次の日の朝からは調査を始めていた。行方不明者の家を一通り見て周り、周辺人物からの聞き込みや団員リストの精査を行うも、『共通点がない』と言う団長の言葉通り、出身、年齢、性別、その他要素、はては雑技団の中での所属グループにすら、全く共通点がない。消えた十人は実にバラバラな人々で、十歳の少女から四十歳の男まで幅広く、逆に言うと共通点は『雑伎団に所属している』。この一点しか存在しない。家出ではなく、犯罪に巻き込まれていたとしたら、何かの理由で浚われたか――もしくは殺されているはずだ。同じように人が消えていくのは、もしや雑伎団だけの話ではないのだろうかと、一応調べてみたものの、そういった事象は起こっていなかった。

 そうなると、やはり自発的な行動なのだろうか。禁煙である図書館の中、寂しい口元を誤魔化すために唇に手の甲を当てながら、リーテンガルは頭をぐるぐるとひたすらに回転させた。目の前に広げた帝都の地図の隅から隅に目を這わせ、消えた団員の住所を目で追いかける。それでも、なにか、違和感がある。何かあるはずなのだ、この現象に理由が。そんなことを思いながら視線をふと横にずらすと、隣のヒミツは恐竜図鑑を持ち出して、一頭一頭の鳴き声を肉声で当てていた。どうやら暇を持て余しているらしい。リーテンガルの視線に気付いて、ふふと表情を綻ばせる。

「ねーえー、リィ、まだ帰らないの。ぼくもう飽きたよ、ケバブ食べたい」
「お前な……、ケバブは昨日十人前食べたろう」
「足りないよ! 帝都でしか食べられないんだから!」

 ぶうと頬を膨らませるヒミツに、苦笑する。言われて視線をやった外は既にとっぷりと日が沈んでいて、長い間ここで過ごしたのだという事実にやっと気が付いた。脇にうず高く積んだ本を持ち上げ、帰るか、と彼女の頭に手のひらを置いて、席を立つ。一瞬で機嫌を治したヒミツが後をついて来て、自作したというケバブへの愛を告げる歌を歌い出した。図書館の司書が向けた剣呑な瞳が背中に刺さって痛い。――もう出るから、あと一分だけ勘弁してくれよ。

 図書館を出ると、澄んだ冬の夜の空気が胸に詰まった。足りないニコチンを欲して煙草に火をつけるだけの動作で、手が悴みそうだ。肺が縮こまるような感覚がしたが、それでも茹だるような暑さよりはマシだろう。暑さよりも寒さの方が得意なのは、生まれ育った街が冬の長い地域だったからだ。リーテンガルはため息だか、煙草の煙を吐き出しているのだか、よくわからない息をついて白く濁る吐息を視界の隅に見つめた。

 とりあえずは宿に戻って、少し頭を纏めなおそう。今日はいろいろと情報を詰め込みすぎた気がする。考え事をするリーテンガルの後ろで、ヒミツはやっぱり楽しそうだ。全くついて行く気がないほどの遅い速度で歩く彼女を置いて先へと進んでいくと、ふと、リィ、と声が上がった。今度はいったい何なんだ。剣呑な顔で振り返ると、そこには街角に蹲る浮浪者の手を取るヒミツの姿があった。

「おなかすいてるんだって、ぼくといっしょ!」

 浮浪者の手の中には、きらりと光る鈍い輝き。血がさっと引いていく音を感じた。ヒミツ。慌てて名前を呼んで駆け寄り、彼女の腕を引き寄せる。ワンテンポ遅れて、浪者の手の鈍い光が翻って、ヒミツが小さく驚きの声を零した。そのまま彼女の腕を引いて足早にその場を離れながら、リーテンガルは未だに冷めたままの血の温度を感じて眉を顰める。

「お前な、ちょっとは警戒しろよ。帝都なんて危ない連中がうろついてるんだから」
「はぁい……ぼく、いいこじゃなかった?」
「かなりな」

 意気消沈するヒミツの顔を見て、ふと、気付く。――そうだ。痕跡がないからといって、それはつまり、自発的な行動とも言い切れない。行方不明の人々にとって、訪問者が警戒する必要のない人物だったら。ヒミツの様に、無邪気に相手を信頼していたとしたら。きっと、彼らは安堵するだろう。不安な夜にやってきた、信頼に足る人物。けれども十人に共通して、『信頼』されている人物など限られている。人の信頼というのは、そんなに安くはない。

 そこまで思い至って、リーテンガルはふと、団長から預かった写真を手帳から取り出した。二百人が一葉に納められた写真では、当然人物の顔を見分けるのは至難の業だが、真ん中、周囲の人物に取り囲まれるようにして笑っている人物は団長だ。昨日嫌というほど大きな写真を見ていたからわかる。さらにその隣、不機嫌な顔で彼と肩を組んでいる男。この雑伎団の副団長と呼ばれる人物だ。先ほど調べた人物たちの中に、当然この副団長も含まれていた。団長よりもいくらか若く、経営についてのプロだという。彼の仕事には、各グループの統括も含まれている。

「あー……そうか」

 考えに至れば、あとは簡単だ。所属グループもバラバラの二百人中十人に慕われる人物など、限られている。リーテンガルは、冷めた血がじわじわと暖まる感覚に、自身の気持ちが高揚していっていることを自覚した。既に先ほどの失敗を忘れてしまった様子で、彼を見上げてにこにこしているヒミツに、視線を落とし、軽く頭を一撫でする。

「ヒミツ」
「はあい!」
「ケバブ買ったら、ちょっと調べたいことがあるから、先に宿に帰ってろ」
「え! やだ!」

 リーテンガルとしては、とても優しくしたつもりだったが、ヒミツが間髪入れずに口にしたのは拒否の言葉だった。むっすりと頬を膨らませて、リーテンガルを見上げるその様子は、だだをこねる幼児そのもの。ケバブという餌があればこれくらいの言うことは聞くだろうと思ったのだが、アテが外れた。思わず間の抜けた声を返すと、ヒミツは膨らませた頬からぷすりと息を抜いて、さらに不満を口にする。

「リィと居るために来たんだもん、ケバブ我慢するからつれてって!」
「……はー……」

 当然とばかりに快活な様子で笑うヒミツに呆れた声がでる。街を出るときは食い気が先行していたではないか。それでも拒否の言葉がすぐに出てこなかったのはきっと彼女が居ることで、上がり下がりの激しい自身の心拍が落ち着いたからだろうか。高く上る月を見上げて、リーテンガルは煙草の煙を吐き出した。しゃあねぇな。小さく零した声を耳に掴んだヒミツが、やったあ、と静かな夜の街に相応しくない大声ではしゃいだのは、そのすぐ後のこと。


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2016-06-04
推敲:2016-09-08
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