金色にツバメ

 人物像が浮かんでからは、とんとん拍子に物事が進んだ。何せ、既に彼については調べ上げていたからだ。なんだかんだと最終的にケバブを買い与えてしまったヒミツが、美味しそうな匂いを漂わせながら好物に夢中になっている隣で、リーテンガルは注意深く、その人物の様子を壁の向こうから目で追う。団長よりも若いと訊いていたが、どうにも団長よりも老けて見える。切れ長の目の下には深い皺、猫背のせいで持ち前の長身も目立たない。今までの苦労を全身で表すような、そんな人物だった。もう夜も更けているというのに、手持ちランプを手に家を出た彼は、どこか挙動不審だ。

「……あのおじさん、なんだか変な匂いがするね」

 今までずっとケバブに夢中になっていたヒミツが、ふと、リーテンガルの肩の向こうから副団長を見つめて、すんと鼻を鳴らした。

 ――変な匂い?

 問いかけに深く頷き、「美味しくなさそう。煙……?」とヒミツは言葉を重ねる。こういう時、彼女の能力を不思議に思う。馬鹿みたいな怪力に合わせて、嗅覚や聴覚まで優れているのだ。ターゲットとの距離はかなり離れているのに、そこから彼の香りを感じられるなんて、優れていると言うよりはもはや人間とは別の生物だと言われても納得ができる。

 それでも今はヒミツの生態を考察するよりも、彼の調査が先だ。ヒミツの言葉を信じるのなら、最近彼は煙を浴びたということになる。煙と言って思いつくのは、料理の煙、暖炉の煙、あとは、――硝煙の匂いか。

 遠くで見張るだけに留めていたが、最早、疑いは確信に変わりつつあった。ヒミツに声をかけて、路地からそっと、彼の前に足を進める。急に目の前に立ちふさがったリーテンガルとヒミツの姿に、副団長は手にした手持ちランプを揺らして言葉を飲んだ。

「よお。こんな夜更けに、どこにお出かけだ?」
「…………君は、」
「なに、しがない探偵さ。……あんたの雑伎団について、ちょっと調べ物があってね」

 にんまり、街灯の明かりに照らされて笑ってみせるリーテンガルに、副団長は一瞬だけ瞠目して、それから困ったように眉を下げて笑った。

「……団長か」
「その通り」

 簡単に返事を返したと同時に、こつり、と、石畳を叩く堅い音がした。視線だけを音の方へと向けると、そこには三名の男たち。それぞれ真っ黒の服に身を包んだ彼らは、どう見たって一般人とは言えない剣呑とした面持だった。

 不思議ではあった。いかにも冴えない男、というような印象を受ける彼が、十人もの人間を浚って、それから何かを成したとはとても思えなかったからだ。わぁ、なんてヒミツが後ろで間抜けな声を出すのをバックに、リーテンガルは銜えていた煙草を指で挟んで、胡乱げな瞳で副団長を見やる。もう片方の手でポンチョの中に忍ばせた拳銃の冷たい感触を握り、態と演技がかったため息。

「……そういうことかよ」
「すまないね、雑伎団はやっていけないんだ。人でも売らねば、ね」

 すまない、と言葉を発しておきながら、とてもそう思っているとは思えないギラついた表情を浮かべて、副団長は男たちに目配せをした。彼らの手に、鈍く光るのは拳銃。

 認識をしたのと、彼らの内一人がこちらに向かって引き金に手をかけたのは、ほぼ同時だった。

 瞬間、リーテンガルの視界に赤い色が翻る。飛び出したのは後ろに居たはずのヒミツで、何時だかに見せた素早さで、銃を構えた男の手に掌底を打ち込み、銃を弾き飛ばした。半歩下がって、そのわき腹に後ろ回し蹴り。視覚でひらりと彼女のスカートが翻る様を、聴覚で鈍い音を認識しながら、あまりの速さにリーテンガルは言葉を失った。彼女の驚異的な速さと身体能力に、副団長も男たちも目を疑っている様子だ。と、言っても、驚いているのはリーテンガルも同じ事。男が呻き声を上げて腹を押さえるのに、びしっと人差し指を突きつけて、「リィを撃っちゃだめ!」と胸を張るヒミツに、やっとの事で思考が戻ってきた。

 内心で冷や汗をかきながら、リーテンガルはそっとつま先を二度、石畳に打ち付けた。瞬間立ち上る青白い光。複雑な文様を描きながら範囲を広げて浸食していく光に、副団長がたたらを踏んだ。

「ヒミツ、円から逃がすな」
「はーい!」

 簡潔な指示に、ヒミツは大きな声で返事をする。後ずさる男たちに、腰を落として姿勢を低く保つ。すっと片方の手のひらを前に、もう片方の手のひらを後ろに構えたその仕草は、昔何処かで見聞きしたカンフーと呼ばれる武術のそれだった。未だ戦意が残っている男二人が拳銃を構えてヒミツの頭に標準を合わせるも、すっと彼女は体を倒し銃弾を躱してから、鋭い蹴りで彼らの足を払った。バランスを崩して倒れ込み、男の手から拳銃が離れる。なおも武器に縋り、手を伸ばした彼の左腕をぎゅっと踏みつけて、ヒミツはそれはそれは楽しそうに笑った。

「だめだよぉ」

 リーテンガルが展開していく魔法の青白い光に照らされた彼女の横顔は、やはり無垢な子供の笑顔、そのものだった。が、そんな笑顔に不釣り合いなほど、彼女の瞳孔が鈍く光っていることに気付く。不審に思って眉を顰めたが事象の意味を考えだすよりも、彼の魔法展開の完了が先だった。青白い光が一際強くなって、その色を真っ白なものに変える。

「もういいぞ、円から出てろ」
「え! はーい」

 ぴょこんと二つ結びの髪の毛を揺らして、その場から離れるヒミツ。尋常ではない魔法陣の光に男たちもそれに続こうとしたが、まるで目に見えない釘に足を刺されているかのように、彼らの足が動くことはなかった。パニックに陥る彼らをよそに、リーテンガルは指をかけていた拳銃を取り出し、躊躇うことなくまずは一発、男たちの方へ引き金を引く。おおよそ人間が目に留められるはずもないスピードで直進する銃弾に、男は叫び声を上げたが、銃弾は彼の額のちょうど手前で、ぴたりと動きを止めた。銀色の銃弾が男の前で固定されているように、留まり続ける。先ほどからの不測の事態に男が狼狽の声を零し、リーテンガルは少し演技がかった口調で、煙草を指に挟んだ手のひらを翻した。

「生まれつき持ってる魔法は、種類があると思うんだけど。オレのはちょっと特殊みたいでな?」

 リーテンガルの言葉に、ゆっくりと銃弾が軌道を変えて、今度は斜め後ろにいた副団長の元へと向かっていく。

「この円の中では、皆オレの気持ちを訊き届けてくれる。あんたらの意志は、関係なく、な」

 額ぎりぎりに留まる銃弾に、副団長がひ、と息を飲む。おおよそ、リーテンガルとヒミツを始末してしまえば、と思ったのだろうがそういうわけにはいかない。全員を魔法陣の中に納めてしまえば、最早リーテンガルに何も障害はなかった。魔法陣の外では暇を持て余したヒミツが、その場に座り込んでにこにことリーテンガルの様子を見つめている。おそらく第三者から見たら、今の状況は訳が分からないだろうなぁと、自分自身も他人事みたいに思った。

「さ、じゃあ、話してもらおうか。――と、言っても、さっさと帝都軍に突き出してもいいんだが」

 問いかけのつもりで、わざとらしく、ちらりと視線を投げてみせると、副団長は途端にさっと真っ青になった顔を震わせた。

「まってくれ、いや、そんな、嘘だろう」
「嘘ではないかな。オレは割と真面目だし、有言実行の男だぜ」
「……だ、団長が悪いんだ」
「うん?」
「あの人は、団員のため、客のためって、金回りのことは後回しだ。だから、私が、」
「ふうん」

 そんなところだろうとは思っていたから、そこまでの意外性はなかった。たとえあの団長が、金回りの事を考えない唐変木であったとしても、団員を売って作った金で回す運営になど、先が見えているであろうに。まるでこの帝都の構造を考えた人物のように、短絡的でつまらない思考回路だ。つくづく人間の醜いところは、何度見てもやりきれない。あまり興味を惹かれない内容でもあったから、あ、そ。リーテンガルは吐息みたいな、気のない返事を返す。

「女王蜂?」

 その時、状況を把握できていないままの男たちの中の一人が、ぽつりと、言葉を零した。言葉の意味を理解するのに、そう時間はかからなかった。何年も前に訊いた呼び名でも、リーテンガルの心に深く刺さったままのものだったからだ。男の方へ視線を向けて、彼の驚いた顔を見た瞬間に、リーテンガルの体がカッと熱くなる。何故その呼び名を、お前が。焦った気持ちのまま、口を開いて、閉じ、もう一度開いた。

「眠ってろ」

 咄嗟に口から出たのは、その場を逃げるための言葉だった。言葉と同時に、銃弾が力を失ったかのように地面に落下した。次いで、副団長も、男たちも、全身の力を失ったように崩れ落ちる。

 リーテンガルが足を一歩踏み出すと、瞬間、空気に融けていくように、先ほどまで煌々と輝いていた魔法陣が消えていった。後に残されたのは何でもない路地裏と、地面に倒れた男たち。うつ伏せに倒れたそのうちの一人を足で仰向けに転がすと、意識を失った彼の胸に光るバッジが目についた。金色に、月桂樹を加えたツバメのモチーフ。ちらり、とある少年の痛みに耐える顔と、赤い炎が脳裏を過ぎる。

「……ロンディネファミリー」
「ろんでぃね?」

 ぽつりと零したバッジの意味に、ヒミツは敏感に反応して彼の隣にしゃがみ込んだ。胸元のバッジを興味深そうに弄った後に、きれい、などと純粋に感心して、無理矢理に引きちぎる。ヒミツの手に金色が収まった代わりに、スーツの繊維が無惨なまでにボロボロになってしまったのを見て、リーテンガルは内心オイオイと眉を顰めたが、――まぁ、今後は刑務所の作業着だろうし問題はないか。

「……いや、……ちょっとな」

 曖昧に言葉を濁して、リーテンガルは懐から携帯電話を取り出した。帝都軍に連絡をして、とっとと引き取ってもらおう。ドクドクと脈打つ血液の音が煩い。やはり、帝都は苦手だ。人は多いし、嫌な過去を思い出す。


***


 失踪した団員たちは、みな、闇オークションに流されていた。幸か不幸か、帝都軍の調査によって、彼らはそれぞれ購入先から救い出され、闇オークション自体も潰れたそうだ。相変わらず流暢な筆跡の団長からの手紙には、ありがとうと感謝の気持ちが綴られていた。

「リィ、ぼく、いい子だった?」
「ああ、今回はよくやった」
「へへ、よかった」

 そういってごろごろと、人なつこい犬のようにリーテンガルの膝に頭を乗せて、ヒミツは幸せそうに微笑む。文字が読めない彼女の代わりに団長からの手紙を読み上げてやると、ますますその笑みは深くなった。

 まるで子供の様だ。悪いことがわからないが、良いことも同様にわかってない。だからこうして、『いい子』だったかを、頻繁にリーテンガルに尋ねる。おそらく長く一人で過ごしてきて、誰も善悪を教えてやらなかった所為だろう。

 彼女は無垢で疑うことを知らない。だから、ずかずかとリーテンガルのプライベートに踏み込んでくるが、心の深いところまでは踏み込んでこない。今回の事件で、どんなに動揺する姿を見せたとしても、リーテンガルがどんな人物なのか、その過去を詮索することをしないのだ。

 今も自分の膝の上で無邪気に笑うその姿に、何処か心が落ち着いているのを感じながら、リーテンガルは手紙をテーブルの上に放りだし、天井へと煙草の煙を細く吐き出した。


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2016-06-04
推敲:2016-09-08
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