再会は苦く
麗らかな春の午後、昨日夜遅くまで調べ物をしていたリーテンガルは、それはもう安らかな睡眠を堪能していたというのに、その眠りは無粋な電子音に阻まれた。苛つく気持ちと痛む頭を押さえて受話器を取ると、電話の向こうから、これまた無粋な、それでいてとても無愛想な声が届く。
「リィさん?」
「……そうだが」
「こちら、砂の街、軍務所です。娘さんをお預かりしてますので、お迎えをお願いできますか?」
「はぁ?」
娘と呼ばれるような人物は、交流範囲の狭いリーテンガルにとって一人しか思い当たらなかった。まさか。リビングへ視線をやると、いつもその辺で遊んでいるヒミツの姿が見えない。
軍務所は、帝都軍が運営する事務所の様なものだ。地方の治安を維持するために地方に作られている。基本的には犯罪を犯した者が、刑務所に入れられる前に一時的に拘留されたりする場所だが。何をしでかしたんだあいつは。
重たいため息を殺しきれずに、その一部を吐き出して、リーテンガルは了解の返事だけを返して電話を切った。
募る苛立ちを頭を掻いて誤魔化して、上着を手に取った瞬間に、机の上に乱雑に積み重ねていた書類が床に落ちる。こういう時、苛立ちは大抵連鎖するものだ。自然に出る舌打ちを堪えられないまま、床に落ちた書類を拾い上げて机に叩いて纏めると、一番上の書類にプリントされた画像が目に付いた。リーテンガルとまったく同じ髪色と目の色をした美しい女性が、にっこりと空虚な笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
***
呼び出された旨を受付に伝え、その場で煙草を燻らせていると、大きな声で一人しか呼ばない愛称を呼ばれた。直後背中に来た衝撃を殺しきれずにその場にうつ伏せに倒れ込む。こんな馬鹿な事をする人物を、やはり一人しか知らない。額に青筋でも立ちそうなくらいの形相で首を後ろに回すと、特徴的な赤毛のツインテールが、リーテンガルの背中に額を押しつけていた。
「お前な、いい加減、加減を、覚えろ」
今日の苛立ちを思いっきり詰め込んだ声音で言うと、昨日の夜ぶりに会うヒミツは、ぶー。と反省のない顔で頬を膨らませてリーテンガルの背中から体を離した。服に付いた砂埃を払いながら立ち上がる。
そうして、一体今度は何をしでかしたのかと、ヒミツに尋ねようとした時、「あんたが、リィ?」と、男の声が被さってきた。声の方に視線を向けて肯定の言葉を返そうとしたが、その言葉は、声の主を視認した瞬間溶けていった。声の主は、帝都軍の黒い制服を身に纏った長身の男性だった。前髪の一房だけが金色をした黒髪と、すこしきつい赤目、腰に生えている大きな翼がやたらと目につく彼は、この冬、久々に思い出した少年を、そのまま大きくしたような姿をしていた。いや、大きくしたような、ではない。信じられないといった顔をしているのは、なにもリーテンガルだけではなく、彼も同様だった。つまりあの時、死んだと思っていた人物は未だに生きていたということだ。
「……は?」
「お前……生きてたのかよ」
「そりゃ、こっちの台詞だ。とっくにくたばってるかと」
「ふざけんな、てめーみたいにひ弱じゃねぇわ」
「……軍人になったのかよ、似合わねぇな」
口を開いた瞬間に、悪態の応酬。なんだか、少し懐かしい気持ちになった。少年時代、彼とはこうして喧嘩ばかりしていた記憶が蘇る。二人が知り合いだということに気付いたヒミツが、きょとんとしてリーテンガルの掌を引き、首を傾げた。
「リィ、ピアントと友達?」
「と……」
思いもよらぬ言葉に、思わず返事に迷った。友達という言葉はあまりにも遠いところにある。彼との関係は友達とも、悪縁とも、被害者同士とも、どんな言葉でも表しがたい。
「あー、腐れ縁だな」
ちろり、と男の方に視線を向けると、彼は少しだけ不満そうな顔をして同じく頷いた。
「っつーか、ヒミツ。お前書類をもってこいよ。こいつに書かせなきゃ帰さねぇかんな」
「あっ、はーい」
言いながら男はヒミツの肩を小突き、それを受けた彼女はにっぱり笑ってから、ぱたぱたと軍務所の廊下を音を立てて走っていった。残された男とリーテンガルの間に、少し気まずい空気が満ちる。
彼とは同じ街の生まれで、十七歳まで一緒に過ごした。街が帝都軍によって掃討されてから、混乱に紛れてバラバラになり、そのまま彼は死んだものだと思っていた。話題が浮かばずお互い沈黙していたが、ふと、リーテンガルの頭に冬の事件が過った。
「……この間、帝都で」
「あ?」
「ロンディネファミリーと出くわした」
口火を切ったリーテンガルに、彼は怪訝そうにこちらを見下ろしたが、その言葉の意味を理解してから眉根を寄せて苦い顔をした。
「お前の父親、まだやってるんだな」
「みたいだな。俺もたまに名前を聞く」
苦い顔はそのままに、彼――ピアント・ロンディネは、渋々と言った顔で問いかけに返事をした。彼の父親はいわゆるマフィアのボスで、彼らが過ごした街の犯罪に深く関わっていた。その犯罪がばれた結果、掃討され、『燃やされた』街の記憶が、今もリーテンガルの頭には色濃く残っている。そして、『燃えた』街が、自分の街だけでは無いこともよくよく覚えていた。そこから返す言葉が浮かばずに、黙りこくるリーテンガルに、ピアントはわざとらしくため息を付いた。
「もしかして、お前、まだ良心の呵責、って奴を持ってるわけ?」
「……そんなことじゃない。ただ、……ふとしたときに思い出す」
「バカだろ。まだ煙草なんて吸ってっから過去に縛られる」
「お前は止めたのか」
「あの日から、ぱったり」
「……初めて燃やした街の事は、たぶんオレはずっと忘れられないさ」
思わず力が入った口元から、ぎ、と奥歯が軋む音がした。思い出したくない事が、切欠を得て次々と蘇る。あの頃からはもう何年も経っているというのに、冬の帝都の事件といい、久方ぶりの悪縁との再会といい、どうして自分は過去を断ち切れないのだろう。
ピアントが呆れた様な声を出したのがわかったが、それを無視しようと煙草の煙を吸い込もうとした時、明るい声が、今度はピアントの腰元に飛んできた。
「ぴあんとー!」
「うっお」
思い切りの衝撃に、ピアントがたたらを踏む。これがリーテンガルだったら、先ほどと同じように盛大に吹っ飛ばされていただろうから、生まれ持った体格というのは本当に卑怯だ。ピアントの腰元に抱きついて、額を押し付けるヒミツに、気が強そうな女が後ろから緑色の髪を揺らして追いかけてきて、形良い眉を吊り上げて怒りの声を上げた。
「ちょっと! ピアさんに慣れ慣れしくしないでもらえる!?」
「なれなれしくないよー、ピアント、次もまた遊んでね」
女性特有の高い声にたまらず眉を顰める。、ピアントはヒミツの掌にある紙の束を取って片眉を下げ、絶対ごめんだ、と苦笑いした。紙束はそのままリーテンガルに手渡される。そこには『軽犯罪未成年引取書』とあった。次の紙にも、さらにその次の紙にも、同じタイトルが記されている。リーテンガルは眉根の皺を深めて、ピアントを見上げた。
「……次?」
「もう万引き六回目だ。今日やぁっと捕まえたんだよ」
「……ヒミツ」
「うん?」
「帰ったらメシ抜きな」
「ええーーリィー! 何で怒るの!」
「当たり前だ、馬鹿」
苛立ちを隠しきれずに、その書類にサインする文字が乱雑になる。普段ならもっと綺麗に書いているだろうが、早く事務所に帰りたかった。ヒミツがぐすぐすと涙を零し、お決まりの『いい子じゃなかったか』確認をしながらリーテンガルの空いた手を握るのを無視して名前を書き上げ、そのままピアントに手渡す。全ての書類に署名があることを確認して、ピアントはじっとリーテンガルへ視線を投げた。
その視線の意味は、何となくわかる。腐れ縁であり悪縁である彼とは、長い間過ごした分、ある程度の思考回路は理解していた。もう一人の腐れ縁は隠し事が得意だったが、ピアントは単純ゆえに、気持ちを察することが容易いことも手伝っている。ただ、その視線を、今のリーテンガルには受け取る事ができなかった。いや、受け取る事はできただろうが、それを飲み下すことができない。
「リーテンガル」
「……世話かけたな」
「深追いしすぎるなよ」
背を向けたリーテンガルを、そっと追いかけてきた言葉に、手のひらをひらりと揺らして返事をした。深追いするつもりは毛頭ない。ただ、何年も過ぎたのに尚、苦い記憶が口に詰め込まれていく感覚に辟易していた。
「リィ?」
心配そうなヒミツの視線が、そっとリーテンガルの顔を覗き込む。その夕日よりも深い色をした頭を何度か撫でてから、リーテンガルは何も答えずに事務所への帰路に就いた。
2016-06-04
推敲:2016-09-08
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