女王蜂の羽音
フリーテンス社。ここ5年間で急成長を続けている、エンターテイメント業界の会社だ。その運営はアミューズメントパークから、総合ショッピングモール、果てはカジノ、バーなど、娯楽に関するものなら何だって扱っている。急成長を始めたのは、現在の若き女社長に実権が移ってからだとの噂があったが、その運営範囲、内容、収入だけでは割に合わないほどの金回りの良さが、リーテンガルの鼻についた。
ロンディネファミリーの足取りは、全くもって掴めない。ボスやエンブレムの内容まで知っているというのに、それらを調べようとするとまるで煙を掴むような、幻に向かって手を伸ばしているように実体がない組織だという結論に至るのだ。先日話をしたピアントのような帝都軍の人間だけであれば、ファミリーの名前を聞いている人物がちらほら居たが、彼らですら活動内容を完全に把握できていなかった。
そうした中でやっと拾い上げたのが、フリーテンス社の存在だった。偽りの街の記録は殆ど燃えてしまっていたが、偽りの街と呼ばれる前、つまり絡繰の街としての古い記録でその会社の名前を見たとき、最早これしか残された情報がないと思った。
「よぉ」
『静か』という言葉とは無縁であろうその場所は、喧噪に満ちあふれている。そのホールでの一番の美人に声をかけると、彼女は菫色の長い三つ編みを揺らして、切れ長の瞳にリーテンガルを映した。柔和な笑みを浮かべて、こんばんは、と返事をする様子がとても様になる。ポーカーテーブルに付いて賭けるチップを差し出すと、彼女は笑みを深くした。
「初めて見かける顔ですね、お客様」
「あぁ。こういうところはあまり慣れてなくてな。お手柔らかに頼むぜ?」
煙草の煙をよそに吐き出しながら、リーテンガルが態とらしいくらいに、にっこりと笑ってみせると彼女も同じような笑みを浮かべた。
***
熱気の籠もったカジノを出た直後、あまりの気温差に思わず身を震わせた。新しい煙草に火をつけながら一度その巨大な建物を見上げて、それから帰路へと足を進める。
おそらく、このカジノは『普通』のカジノではない。ホールの中を闊歩する黒服、ディーラー、それから上手い具合に身を隠せる死角がたくさんあること、居たはずの客が何処かに消えていく様子も。実際に見てみたら、それはそれは胡散臭い香りが立ち上った。未成年であるヒミツを連れてくるわけにはいかなかったから事務所においてきたが、おそらく彼女ならば何かしらの匂いを嗅ぎつけていただろうと思う。それくらい、違和感のある場所だった。
ロンディネファミリーは、帝都での営業権を持たない。帝都で会社を興す人間は、帝都で生まれた人ではなければならないという決まりがあった。偽りの街で生まれ育った彼らにはその権利はないから、そう考えると、あの記録は何かの取引をしていたと考えられる。内容こそ知らないが――、フリーテンス社について、もう少し調べてみようか。
短くなった煙草を携帯灰皿に押し込んで、リーテンガルはまっすぐ前を向いた、その時。ふつり、と胸のあたりに不愉快な感覚が広がった。振り返りながら、つま先を二度地面に打ち付ける。瞬間立ち上る青白い光に照らされ視界が少しだけ広がったが、振り返った先には夜に沈んだ帝都の石畳が続いているだけだった。
――気のせいか。
独り言ちて、もう一度足を進めると同時に展開しかけた魔法陣が溶解した。が、次の瞬間、鈍い衝撃と痛みを感じて、そこからリーテンガルの意識は途絶えた。
***
目が覚めた時に居たのは、何処かの地下のような場所だった。打ちっ放しのコンクリートの床と壁。そっと視線を巡らせてみても周囲に床と壁以外にはなにもなく、リーテンガルから離れたところに、これまたコンクリートでできた階段があった。ぐ、と体を起こそうとして、自分の体が椅子に座った形で縛り付けられていることに気付く。あぁ、これは、まずったかな。そう脳裏の隅で思って、それからニコチンが欲しいなぁと、いつだって欲望に素直な体の言葉を代弁した。
なにはともあれ、足先が動くか確認をする。リーテンガルの魔法は、地面に爪先を打ち付けることでしか発動できない。拘束は主に上半身に対して行われているらしく、足先を動かすことは容易だった。これならまぁ、なんとかなるだろうか。そんなことを思いながら、とりあえず煙草が吸いたいなぁと、天井を仰ぎ見る。仕事柄、いつかこういう展開になることも予測していたが、今このタイミングでこうなるとすれば、何時間経っているのかは知らないが、先ほどまで調べていたフリーテンス社か、それとも同時並行で探していた人魚の依頼の関係か、それでもなかった場合は――、
「あぁ、部下から聞いてまさかとは思ったが。本当にあの人の息子だったか」
ずっと調べ続けていた、ロンディネファミリーの関係か。
耳に入ってきたのは、低いが耳通りの良い声音で、リーテンガルは天井へ向けていた顔をそっとそちらへと戻した。
「女王蜂」
返事を返さずにいると、彼は揶揄する口調でリーテンガルが捨てた呼称を口にする。こつ、こつ。革靴の音とともに、声の主はこちらへと近づいてくる。コンクリートの階段を下りてきたのは、真っ黒の髪の毛と赤い瞳をした壮年の男性だった。その腰には大きな翼が生えており、一歩ごとに羽が風を受けてふわりとはためいた。ぎらりと油断のない瞳は実に彼の性格を表している。何処か面影のある彼は、リーテンガルの腐れ縁の父、その人だった。
「いろいろと嗅ぎ回っていると聞いていたよ」
「あんたが上手にかくれんぼしてるからな」
「影でこっそりお仕事をしていたんだよ。あの街が燃えた時は、お前も死んだと思っていたからね」
ふふ、と無邪気な子供のように笑う彼は、リーテンガルの前まで椅子を持ち出し、そこに座って足を組み、太股の上で頬杖を付いた。おそらく、幼い頃のリーテンガルの事を一番知っているのは、彼だろう。逆に言うと、彼の性格はリーテンガルもよくよく知っていた。無邪気に笑っていながらも、その内心では全く笑ってなどいない。燃える町並みを背景に、柔和な笑顔で彼が吐いた毒を今でも鮮明に思い出せる。
「どうして僕たちを調べていた? 今更じゃないか。もう街が燃えて、八年だ」
「あんたたちの影がちらつくと、嫌な記憶が蘇る。要らない記憶だ。消したくてな」
「ふうん、そうか。……そうかぁ」
彼は愉快だとばかりに口を歪め、胸ポケットから煙草の箱を取り出してその内の一本を、薄い唇に挟む。金色のジッポが灯す炎の光が、薄く周囲を照した。彼は一息煙を吸い込んでから、ぐっとリーテンガルと距離を詰める。煙草の匂いが鼻についた。大昔に吸わされていた麻薬の匂いが混じっている。
「精算のつもりか? 街を燃やした過去を、それっぽっちで精算できるとでも?」
「精算じゃない、憂さ晴らしだ」
「それを、世の中では精算って言うんだよ。馬鹿だなぁ。女王蜂どころか、大人にすらなりきれなかったか」
ぐ、と顎を捕まれ、上へと向かされる。ロープで固定された体が無理な動きをして痛んだ。思い切りの侮蔑を込めて相手を睨んだが、彼はそんな視線など知ったことかと楽しげに笑う。
「知っていることがあるだろう? ――それと、それを伝えた人物だ」
「何のことだ」
「いつも一緒にいる、赤毛の少女だよ」
「……あいつは関係ない。なにも知らない」
赤毛、と言われた瞬間に、ヒミツの笑顔が浮かんで消えた。彼女に手を出させるわけにはいかない。自分の憂さ晴らしに付き合わせるわけには。
頑なに口を噤んでいると彼はにんまりと笑みを浮かべて、銜えていた煙草を地面に落とした。
「ここからは、僕が調べる番だな? 女王蜂」
薄暗い室内で、彼の赤い瞳だけが爛々と色づいた。
2016-09-08
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